IAN-Gの無謀旅日記〜タイ、バンコク編〜
期間 2011年5月1日〜2011年5月6日
(行ってきた人、文、写真=IAN-G 同行者=いません)
↑トゥクトゥクに乗ってどこまでも。バンコクは観光客にもやさしい街でした。
5月1日(日)
旅行前日の夜はいくつになっても楽しみ。今回も1時に寝たのに起きたのは5時前。まどろみつつ6時半まで過ごし、出発の準備を整える。この朝早くの出発こそ旅情をかきたててくれる。いつもは表通りまで行かないとつかまらないタクシーも自宅の近くで捕まり、箱崎からリムジンバスに乗る。幸先よいスタートかと思いきや、出発寸前にiPodを忘れてきたのに気づいた。まあ、いいさ。バンコクの喧騒がBGMになってくれるはずだ。
成田に到着していつものとおりチェックインから朝飯、両替、保険の加入を済ます。ついひと月前に未曾有の大震災が襲ったにもかかわらず海外で連休を過ごす人の多いこと。まあ、自分もその一人であるが、日本の底力というべきか、はたまた楽天的なのかともかくこれならこの国も大丈夫だろう。
今回は初めて進んで日系航空会社、ANAを選んだ。過去にもJALでオーストラリアへ飛んだが、あの時はカンタスで予約したら共同運航だったのでやっぱり別物。しかもJALはそれ以外にも乗ったことがあるがANAは正真正銘初めて。ANAのマイレージ会員なのにもかかわらず、だ。
機体は5年ぶりのB767。ひとつしかないボーディングブリッジを渡って機内に乗り込む。2列通路の機体でこの小ささ、A380をはじめ、ジャンボ、A340などに乗ってきた後だとかえって新鮮に写る。新鮮さは機内に入っても終わらない。非常口の案内も日本語なら機内誌も日本語。CAのオネーサンのアナウンスも日本語からならエンターテインメントのプログラムも日本映画に日本のテレビ番組。当たり前だが日本の航空会社はやっぱり日本人向けなのだなぁと関心。機内食の間もワインはそこそこに日本酒や焼酎を楽しみ気づいたら夢の中、道中かなり乱気流に見舞われたが、しっかりとした姿勢で飛び続け不安に掻き立てられることもなくバンコク、スワンナブーム空港に到着した。
この空港を利用するのはシドニー旅行以来2度目、開港間もないときでいろいろな問題が噴出していた当時に比べれば落ち着いていた。前回はここからさらに9時間のロングフライトが待っていたが、今日はこれでおしまい。イミグレーションをパスし、荷物を受け取り市内への足捜し。前払いで安心して乗れるリムジンタクシーを今回は利用することにした。行き先、宿を告げると向こうさんはいまいち分からないらしくこちらが「カオサン通りの近くです」と説明する羽目に、何とか話がとおり案内された先に待っていたのはなんとロンドンタクシー。ロンドンに何度も足を運んでも一度も乗っていないこの車にまさかバンコクで乗ことになるとはこの国で厚く信仰されている仏様のおかげだろうか。
広々とした車内から町並みを眺めつつバンコク市内へ。当然宿の目の前まで行ってくれるかと思いきやおもむろにカオサン通りで降ろされる。まだ右も左もわからないのにもかかわらず、だ。でもいいさ、そんな仕打ち慣れっこさ。夕方の街を自らの勘だけを頼りに進んでいく。宿まで10分くらい歩いただけでにもかかわらずもう汗びっしょり。エアコンのきいた部屋でシャワーを浴びて長旅の汚れを落とし改めてカオサン通りに向かう。
↑ここがカオサン通り。欧米人ばっかり。でもそんなカオサンでも屋台で飯食っているのはタイ人がほとんどです。
バックパッカーの聖地とまで呼ばれるこの通りには安宿はもちろんのこと欧米人と日本人向けの店が立ち並び、無国籍の様相を呈していた。ここがアジアであることを証明してくれるのはタイ文字と屋台くらいのものだろう。今日はこの周辺を歩くだけにするのでこの周辺の屋台でグリーンカレーとカオマンガイ、それに豚肉炒めを食べる。どれも辛いがうまい。どれにもご飯がついてくるのでビールの入る隙間は普段より少なめだがそれでも地元のシンハやレオといったビールは欠かさない。初日からタイの熱気を楽しんで9時に宿に戻る。今日は旅の疲れを取って明日から本格的に行動開始だ。
5月2日(月)
昨日は早く寝たのといつもと同じアラームのおかげで5時半に目が覚める、とはいえそこから行動開始するまでには2時間以上を要し、宿を出たのは8時。外は早くも真夏日、去年の東京と同じくらいの暑さが一気に襲ってくる。そんな中まずは王宮とワット・プラケオから。観光コースなのでとにかく人だらけで建物を撮ろうとしてもどうしても人が写ってしまう。
次のワット・ポーまでは少々楽をするためにトゥクトゥクに乗る。暑いので交渉する気にもなれず言い値で、乗ってみると風が実に気持ちよく快適だ。ここでは寝釈迦の大きさに圧倒されてから近くの屋台で少々遅い朝飯を食べる。
(左)仏教国、タイのお寺はどれも豪華で荘厳。信仰心の厚さがうかがい知れます。
(右)チャオプラヤ川はとても穏やか。普通に沐浴している人がいると勝手に想像していましたが、まあ、いませんね。
しばしの休憩を挟んで今度は渡し舟でワット・アルンへ、チャオプラヤ川はきれいとは言いがたいが、それでもきれいな青空がいい風景を作り出してくれている。寺はどこへ行っても拝観料を取られが、京都の寺をめぐると思えば仕方がないか。
次の目的地のチャイナタウンまでは歩くことにした。タクシーやトゥクトゥクでもいいのだが、土地勘を養うためにも暑いとばかりは言っていられない。しかし悲しいかな見事に迷ってしまう。ただし、迷ったからこそ出会える風景もあるし、急ぐ旅でもないのでそのまま気楽に迷うことにする。ここまで予定より早く来ているし、腹が減ればそこかしこに屋台があるし、エアコンがこれでもかと効いているコンビニがあるので太陽もいよいよとなれば避けることができる。何とかなってしまうのだ。
どれくらい歩き続けたがわからないところで突然道路標示にChina Townの文字が出てきた。どうやら着いたらしい。まずは屋台で腹ごしらえをしてから練り歩くことにする。今までチャイナタウンといえば往々にして中華レストランとお土産屋という印象しかなかったがここバンコクでは「金行」と呼ばれる貴金属店が幅を利かせている。つまり、あまり旅行者に縁のない店が多いのだ。しかし、路地に入れば屋台は多いし、食料品の店が軒を連ねる一角もあり歩いていて飽きることはない。十分に歩き倒したところでタクシーを捕まえてカオサン通りまで戻ることにしたが、最初に捕まえたタクシーには乗って少ししたら「ガソリンなくなってきたんで悪いけど降りてくんね」と言われる貴重な経験をする。改めて乗ったタクシーでようやくカオサンに帰り着きビールを飲んで宿で休憩。
夜はこの日のまさにメインイベント、タイが誇る国技ムエタイを見にラチャダムヌーンスタジアムまで足を運んだ。さすが観光客慣れしていて外国人を見るや係員が案内してくる。向こうが勧めるまでもなくリングサイドの席を選ぶ。周りは日本人をはじめとする観光客ばかりの中いざ観戦。鋭いハイキック、首相撲からのひざ蹴り、パンチの応酬と真剣勝負ならではの熱気がビリビリと伝わってくる。しかし、試合前の踊りや2分間のインターバルと実際に戦っている時間が短すぎる。おそらく外国人が相撲を見ても同じ感想なんだろうな。
↑飛び道具や飛び膝蹴りのないムエタイは新鮮です。普通にジャブや前蹴りのけん制ばっかり。
10戦あってKOが1回だけというのは果たして順当なのか、それとも生でスポーツ観戦をすると凡戦にしかならないジンクスがここでも生きているのかわからないまま、少々間延びしながら10時まで見続ける。やっぱり格闘技よりもプロレスのほうがいいかな。帰りはトゥクトゥクで夜風に吹かれながらカオサン通りまで戻り、またしても酒と遅い晩飯を食べて宿に帰りついた。
5月3日(火)
いつもの5月の旅となるとたいてい3泊のあわただしいものになるのだが今年はもう一泊、ゆとりのある旅である。なので今日は目的もなくバンコク市内をブラブラすることにする。ただし、歩いてブラブラするだけでは直射日光が行く手をさえぎるのでバンコクの文明の利器、地下鉄とスカイトレインを活用する。
↑バンコクスカイトレイン。中はエアコンが効いていて快適です。
まずはトゥクトゥクでフォアランポーンの駅まで向かいまずは地下鉄に乗る。紙幣も使える自動販売機にICチップ内蔵のコイン型の切符とハイテク満載な上にエアコンが効いていて実に快適だ。最初の目的地はクロントゥーイ市場。ここはバンコクのいろいろある市場の中でも生鮮食品を扱っていて特に活気がある。かつてクアラルンプールの市場で精肉店の隣で携帯電話が売っているのを見た後では同じジャンルで固まっているここは整然としている方だが足元は肉屋や魚屋から出る氷が溶けて水浸し、サンダル履きだったので完全にびしょびしょになってしまった。ま、それでもすぐ乾いてしまうのがさすがバンコク。
再び地下鉄に乗り、乗り継ぎを経てスカイトレインでサイアムスクエアまで行く。こちらもエアコンが効いた車内で降りるのが惜しいほど。今度はこの周辺の大きな商業施設を回る。ブランドショップがひしめくような一角でも屋台が出ているのがこの国らしい。
再びファランポーンの駅に帰り着きカオサンまで屋台を探しつつ歩いて帰る。結構な距離だが何とか歩きとおすことに成功。ビールをいただき、宿で昼寝をして夜に備える。何も海外まで来て昼寝なんて・・・などといわれてもいいのだ。そう、今夜はバンコク最大の歓楽街、パッポンにくりだすのに少し体力を温存しておきたいのだ。
↑パッポン通りの露天群。ここから戸板一枚隔てたところで薄着のオネーチャンが踊っています。
夕方再び地下鉄に乗り、まずはスクンビットのソイをいくつか歩いて肩慣らしをしてからいざ出陣。パッポンにつくころには日もすっかり沈み、暑さが少し和らいだ中を観光客と地元の人が縦横に歩いている。ものすごい数の露天とその両側のゴーゴーバーは想像していたタイそのもの。客引きの数もかなりのもの。いきなり入ってしまうのではなくひとめぐりしてから足の向くまま入ったゴーゴーバーで案の定軽いぼったくりに合う。ま、想定内でしたが。もうこれだけで疲れたので今日はこれで終了。またしてもカオサンでビールを飲んで宿に帰った。
5月4日(水)
今日は恒例の遠出の日。バンコクは日帰りで行って帰れるところが結構ある。これもバックパッカーに人気の理由だろう。その中で選んだのは、アユタヤ。なんといっても世界遺産のある町である。朝起きて急いで身支度を済ませ、長距離列車も出るフィアランポーン駅に向かった。
まずはチケットを買うところから。精一杯のタイ語発音でアユタヤというと英語で返ってきた。これは助かる。提示された列車の時間が1時間後だったので「もっと早く出る列車はありませんか?」と訊くと「2等車になるがいいか」と言われる。値段は315バーツ。さっきまで15バーツだったのがその300バーツの差はいったいどれだけ豪華になるのだろうと考えつつ、それでも時は金なりなので315バーツ払うことにする。時間を見るともう出発の時間。急いで飛び乗ると列車は轟音を立てて走り出した。車内はエアコンが効いていて軽食と飲み物のサービスが着いてきた。2等車というよりはもはや1等車のサービスだ。
↑これで2等車。しかし、サービスは上々。315バーツもいたしかたなしか。
アユタヤまでは約一時間半。到着するとさすがは世界に誇る観光地。駅からすでに人であふれ返っている。そしてこれも予想はしていたが、トゥクトゥクの客引きが駅を出た瞬間からまとわりついてくる。この辺のあしらい方は自分では心得ているつもりだが、敵もさるものであの手この手で乗せようとしてくる。しかし、今回は何で移動するかは決定済みなのだ。渡し舟で町の中心部へ向かい、朝飯を食べてからお目当てのレンタル自転車を手に入れる。自分のペースでのんびりと町を流そうというわけだ。去年の東京の猛暑の中でも自転車でいろいろ走り回れたからこれくらい楽勝さ!と思っていたがなかなかどうして日差しは容赦なく照りつける。観光客目当ての屋台や、町のはずれにあるコンビニでこまめに水分補給をしないとすぐに頭がボーっとしてくる。水は少し置いておくだけでお湯になる暑さだ。
しかし、道は平坦でそれなりのスピードは出すことができ、走っている間は風が気持ちいい。町に点在する遺跡を見て回って行く。多少道に迷いながらなので効率よく、というわけにはいかず、たいていヘトヘトになった状態での見学だが、自然と日差しより風のほうが感じられ、気づくと体力も回復している。むき出しのレンガ、破壊されたままの仏像。傾いた仏塔とまさにゴーストタウンの雰囲気だ。「諸行無常」という言葉がこの遺跡をよくあらわしている。
↑まるで時が止まったかのようなアユタヤの遺跡群と町並み。自転車で回って大正解!!
一通り見終えて町の中を軽く流し、昼飯を物色しているときにふと気づいた。時計代わりに持ち歩いていた携帯電話がない!間違いなく自転車に乗っているうちに落としたのは確かだが、それがどこでというのが分からない。仏様もいったいどういうお導きなのか。「そろそろ新しいのにしたらどうか」というつもりなのだろうが、それにしては手段が強引過ぎやしないか?東京に帰っての仕事がひとつ増えてしまった。
いろいろな意味で疲れきってきたのでここで自転車を返し、ビールを飲んで落ち着いてから3時半ころにはバンコクに帰ることにする。帰りの電車は3等車で20バーツ。乗ってみると確かに3等車だ。行き同様大き目のディーゼルエンジンが轟音を立てての道中だが、バンコクに近づくにつれて列車が頻繁に止まるようになってきた。あまりに止まる時間が長くなったので窓の外をのぞくと列車が着ているにもかかわらず踏切が閉まるどころか車がひっきりなしに往来している。「開かずの踏切」ならぬ「閉まらずの踏切」だ。何とかそれを過ぎると今度は線路と線路の真ん中でくつろいでいる人たちがたくさんいる。線路の上を歩いている人もいる!ガイドブックにも「タイの列車はたいてい遅れる」と書かれていたがこれで納得。定刻より一時間近く遅れて何とか電車はファランポーン駅に到着した。駅では6時ちょうどに国歌が流れ、みんなその場で直立不動となった。
バンコクに帰ってからの夜はカオサン周辺で晩飯やお土産の買い物をしていく。昨日通ったシーロム通りにもナイトマーケットがあったが、客引きがうるさいのでやっぱりカオサンのほうが多少落ち着いて買い物ができる。それに酒が飲めるところがゴーゴーバーしかないのでは落ち着いて酒も飲めない。最後の夜ということでメコンではないが、タイウイスキーも飲んでしまった。非常にいい気分でバンコク最後の夜は更けていった。明日も暗くなるまでいるつもりだが。
5月5日(木)
いよいよバンコクにいるのも今日が最後、しかし何をやろうかまったく予定がない。とりあえずあまり暑い中にはいたくないな、ということで朝の日差しが弱いうちに街歩きを敢行。やっぱり自分の足で歩くといいことあるもので、まだ見ぬ屋台通りを数箇所発見。毎度の笑顔と人差し指だけを武器に注文し朝飯を食べる。この5日間食事だけは何とかなってしまったなぁ。
↑路地裏の風景はいつも魅力的。さまざまな顔に出会うことが出来ます。
宿に戻り、最後のシャワーを浴びて宿をチェックアウト。荷物は毎度のように預かってもらい身軽になって歩き出す。まあすぐにタクシーを捕まえることになるのだが。とりあえずサイアムスクエア付近のエアコンの効いた商業施設を回ってなるべく体力の消耗を抑えつつゆるくすごしていく。日差しが少し和らいだ午後は近くの屋台街へ向かう。傍目にはタダの徘徊に見えるのだがその実お土産を探してもいるのだ。普通なら少しはいいものが見つかりそうなものなのだがここバンコクではなかなかいい出会いに恵まれない。結局市場をはしごしてチャイナタウンまで行っても収穫はなしでとぼとぼとカオサンに戻る、タクシーでだけど。
結局半ば徒労に終わったといってもいい一日の疲れを癒すにはやっぱり冷えたビールしかない、というわけで今日は晩飯も一緒に飲むことにする。今日は活えびのサラダと正統派のパッタイ。これまで屋台か安食堂ばっかりで食べて来たので少しきれいな盛り付けなだけでものすごく豪華に感じる。辛いのを我慢しながら急いで食べてしまうのではなくゆっくりとバンコクの空気を一緒にかみ締めながら食べていく。情が移ってしまう前にカオサンを後にする。宿に戻り荷物を受け取りさあ、空港だというときにいきなりトゥクトゥクのおっさんに呼び止められる。「どこ行くんだい」の問いに「スワンナブーム空港だけど」といってしまったら「俺が500バーツで行けるように話をつけてやる」と勝手に近くを通ったタクシーと交渉を始めてしまった。これでマージンをとられなかったのでただの親切でよかったのだがそれでもメーター使ったときより高くなるのは間違いない。ま、おつりのキリがいいのでよしとしよう。結局バンコクのエネルギーに圧倒されっぱなしのまま帰国することになってしまった。暑さ以外は実に過ごしやすい国で、はまってしまう人が多いのもうなづける。さっきまで屋台でぶっ掛け飯を食べていたのが信じられないほどきれいなスワンナブーム空港から日本へ向けてANAのB767は飛び立っていった。