IAN-Gの無謀旅日記 〜アイルランド編〜

期間 2007年8月12日〜2007年8月18日
(行ってきた人、文、写真=IAN-G 同行者=いません)


↑まあ、今回もこれくらいは飲んだかもしれませんね(写真はイメージです。)


8月12日(日)
 朝起きたら、4時だった。ちなみに、寝たのは2時だった。よっぽど今回の旅に向けて緊張しているのか、それでも2時間しか寝てないのではちとまずい。体もまともに動くはずもなくビールを一本飲んでからもう一度眠りにつく。それでようやく7時まで眠ることができた。普段は旅行というと5時や6時起きというケースが多いのだが、今回は少しゆっくりの出発だ。いつものように東京駅に向かい成田エキスプレスに乗り成田空港へ向かう。車内はいつにもまして満席状態、今回も「夏休みを海外で過ごす人たちの出国ラッシュ」の一員になった。空港に着くとここも人であふれかえっている。まあ、そこら辺はあんまり意に介せずいつも通りの準備を行う。先に必要なものを買いそろえてからチェックインをして、そのあと保険の申込、両替を済ませた。ユーロは150円台まで安くなったが2万円両替したらたったの120ユーロにしかならなかった。前回のあのベトナムドンの札束が懐かしい。

 そしていつもどおり第1ターミナルの一番奥にある銀座ライオンにておそらく今回の旅行中ひたすらにの飲みまくるだろうギネスの最初の1ptを一気にあおってからいざ出国。アイルランドはロンドン経由で行くのがメジャーな行き方だが、ちょうどUK国内でのテロ騒ぎがあったので念願のヴァージンアトランティックでのフライトは断念。(ついでに言うとこれのおかげで当初の目的地であったスコットランドもあきらめることになっったのだが)代わりにエールフランスにてパリ経由でダブリンに降り立つことになった。

 まずはパリまで約12時間のフライト。乗ってから気づいたのだが、こんなに長い時間飛行機に乗るのは久し振りで、(ロンドンも11時間あったがこのときは大枚はたいて乗ったビジネスクラスのおかげで半分以上眠って過ごせた)実を言うと半分過ぎたあたりでもうだいぶ飽きてきた。おそらくこの飛行機に乗っているほとんどの人はパリで降りるのだろうが、こと自分に関して言えばそこからさらに乗り継ぎをしないといけない。大西洋に面し、すぐ上はもう北極圏というアイルランドが日本から見ていかに「地の果て」かというのがよ〜く分かった。

(写真左) かろうじて撮ったシャルル・ド・ゴール空港のターミナル。外とはえらい違い。
(写真右) パリ〜ダブリン間はこのBAe146に乗りました。その安定性に拍手!!

 その後も辛抱強く座り続けてようやく飛行機がパリに到着。やっとこれでひと安心・・・というわけにはもちろん行かず今度はすぐにダブリンへの便に乗り継ぎ。シャルル・ド・ゴール空港の設備などゆっくり見ている暇などない。ターミナル間の移動は専用のシャトルバスで地上を走るもので、外壁の汚れ具合からしてこの空港がもうそんなに新しくないな、という印象を与えたのみ。手荷物検査ではすぐ前に並んでいた中国人の集団がえらいこと長く調べられ(平気で水筒にお茶とか入れていた)それこそそのまま搭乗口へ。その搭乗口というのもボーディングブリッジが一杯並んでいるターミナルの一番端っこの階段で、いやな予感がしつつ再びバスに揺られてついた先に待っていたのはBAe146という聞いたこともない名前の飛行機。いわゆるリージョナルジェットで、押し込まれるように乗り込み今度は一路ダブリンへ離陸。この手の飛行機に最後に乗ったのは4年前にエアーズロックに行った時以来、あまりの揺れに一時期飛行機嫌いになったほどであったが、今回は気流が安定していたのかほとんど揺れることなく快適なフライトだった。ただ午後6時発の便ということで当然のごとく機内食が出てきて、すでにここまで12時間ほとんど動かずボリューム満点の食事をしてきた身にはかなりつらい。当然完食できるはずもなく、食べ過ぎ、飲みすぎ対策に買った仁丹が早速役に立った。


 疲労が頂点に達しようかというところでようやくダブリンに到着。パスポートしか出さなくていいゆるいイミグレーションを過ぎると後はあっという間にダブリン市内へ一直線。空港から出ているシャトルバス(6ユーロ)で中央バスステーションまで行き土地勘だけを頼りに宿まで向かう。ダブリンのナイトスポット、テンプル・バーまで10分近く歩いてようやく到着した後は長旅の疲れをいやすためシャワーを浴びてそのまま眠ってしまった。


8月13日(月)
 いつものように朝5時半に起床。シャワーを浴びて、日記を書いて、グダグダしながらとりあえず過ごして、朝食までの時間をゆるく過ごす。そして7時半になり食堂が開いたので朝ごはんを食べることにする。ビュッフェ形式のフル・アイリッシュ・ブレックファーストで、ここぞとばかりにめったに食べられないブラックプディングとカリカリに焼かれたベーコンとソーセージを食べたらもう腹一杯に。恐るべし、フル・アイリッシュ・ブレックファースト!特にブラックプディングが全ての元凶だったようでスライスをたった4枚食べただけなのに十分な食べ応え!おいしいんですけどね。

↑これが「悪魔の食べ物」、ブラックプディング。要は血の腸詰のことですよ。

 さて、ここまで満腹になると、これを消費しないといけない。というわけでいつものように街歩きから始めることにする。とりあえず外がどれくらいの温度なのかよくわからないのでTシャツ一枚で出て行ったら驚くことに寒い!!そう、涼しいなんてものではなく寒い。町を歩く人たちはほとんどが長袖を着ている。こっちはと言えばそんなもの一枚も持っていない!体を温めるためにもせわしなく歩くことは急務となってしまった。

 まずは目覚めたばかりの街をグラフトンストリート周辺から歩きまわる。こうった目抜き通りの何がいいかというと決まってこういう通りにはいい路地裏もあるということ。表の喧騒をよそに路地裏ばっかりをカメラに収める。結構いい絵が撮れました。そこから今度はトリニティ・カレッジに行、きアイルランドで最も有名なもののひとつである「ケルズの書」を見学。たかが聖書見るだけに何も8ユーロも・・・なんて思っていたが、1000年以上の時を経てもしっかりと本の体をなしているその姿には本好きとしてはやはり感動もの。さらにカレッジの書庫も見られるのだが、それこそファンタジーの世界のような古ぼけた本たちが所狭しと並んでいて一冊くらい手に取ってみたかったが、残念ながらそれはできず、それでも本に囲まれてしばらくいい気分なったところで時計の針は10時半を回っていた。パブが一斉に開き始める時間だ。
 UKではパブが開くのは11時からだからこの点だけでもアイルランドは素晴らしい。そしてこの国での最初の一杯はもちろんギネス。本場のものを飲んで味の違いを探して「ああ、やっぱり本場のギネスはうまいなぁ!」なんて唸ってみたかったものの拍子抜けするくらいに日本のとおなじ。まあ、雰囲気だけは数十倍良かったけど。とりあえず「世界中どこでも同じ味で飲めるのがすごいのか!」と納得して今度はオコンネル・ストリートのほうへ向かった。
ダブリンで最も大きいこの通りには有名な天を突くオブジ、”Spear of Dublin”が中央に鎮座し、周辺には多くのショップやデパートが立ち並ぶ地域である。残念ながらパブの数は建物の数の割には多くないのだが歩き回っていると急にフルーツの露店に出くわしたり、肉屋のショーウインドウ越しに豚の頭と目が合ったりで実に楽しい。ここまで歩きまわっても一向に腹が減らない最大の要因であるブラックプディングも連なって売られていた。ひとくされ歩き回り今度はスミディックスにチャレンジしてみる。

日本では”キルケニー”とほぼ同じ扱いをされてしまうが実際に飲んでみると口当たりがシャープでなんだがラガーを飲んでいる感じ。その後の味わいはしっかりとエールをしているのだが良くも悪くも期待を裏切られた感じ。ゆっくりと飲んだ後はコノリー駅まで歩をすすめそこからダブリン名物路面電車”Luas”に乗ってこの日最大のお楽しみ、「ギネス・ストアハウス」に向かった。

↑ギネス・ストアハウスの前にて撮影。人が写らないように撮るのに苦労しました。近代的でありながらどことなくオールドファッションな工場です。


↑ストアハウス最上階の”Gravity BAR”にて。これほどの数のドラフトタワーと1ptグラスはめったに見られるモンじゃないですね。

ギネス好きとしてはせっかくダブリンに来たからには飲むだけではなくこの愛すべき飲み物の秘密も探らねばとまず入口で入場券を買うべく列に加わると、すぐ前に並んでいた4人組がなんとトリニティー・カレッジでも自分の前で並んでいた人たちで、「偶然とは恐ろしいな」と感動しながら同時に「みんな考えることは同じか」とも思ってしまった。
 実際の工場風景は見られないもののギネスの秘密を探るには十分すぎる程の充実した内容で(こういう博物館でしかできないようなディスプレイも多くあってむしろ普通に工場を見学するよりも分かりやすいかも)、さらにこういったところでしか拝めない古いボトルや樽、販促ポスターやTVCMのアーカイブなどもあり、本来「普通に回れば一時間程度で回れますよ」と言われたところを、最後に建物の最上階でダブリンの街を見下ろしながらできたての1パイントを飲み終わるまで実に2時間半かかった。すっかりいい気分になり、近くのヒューストン駅で明日以降の電車のスケジュールを確認してから市内中心部に戻り、午後5時ようやくこの日の昼食(夕食?)としてフィッシュ&チップスを食べる。それでもまだまだ腹一杯の状態でドンと出された大皿いっぱいの料理を前に「はたしてこれが全部食べられるのか?」と不安になったが、モルトビネガーをビタビタにかけたらあら不思議、あっという間に平らげてしまった。

↑食べかけですいませんがこれが「パブめし」の典型、フィッシュ&チップス。

 再び腹一杯になったので宿に戻り荷物をおき、一休みしてからまた出かけようかと少し横になったら目が覚めるとなんと10時!日はすっかり暮れてしまい、しかし、それでもこのままさらに眠ってしまうのはもったいないので夜のテンプルバーへ繰り出すことに。さすがにこの時間では食事ができる店はほとんどなく、こちらもたいして空腹でもないのでパブをはしごしながらストリートミュージシャンの演奏を楽しんだ。夜になっても酒とおしゃべりと音楽はアイルランドには欠かせないもの。深夜12時、いい気分になったところで再び宿に戻った、宿の地下にあるナイトクラブはこれから開店、というところでもう少し飲むか・・・とも考えたがさすがに眠いのでシャワーを浴びてから寝た。ああ、疲れた。


8月14日(火) 
 今日は朝から霧雨が降ったりやんだりのはっきりしない天気で始まった。起きたのはいつもより少し遅い6時。結局昨日も10時間寝てしまった。いつものように日記を書いてもう少しのんびりした後朝食をいただくことにする。昨日の反省を踏まえて今日はパンは抜き、ブラックプディングも今日は一枚だけにして軽く済ませることにする。これでもだいぶ腹一杯になったが、まあこれならなんとか・・・というレベルだったのでよしとする、そして8時過ぎには身支度を済ませて出かけることにする。


↑ダブリンの鉄道ターミナルのひとつ、ヒューストン駅。

 今日の行き先は、キルケニー。日本でも飲める”キルケニー”のふるさとであるキルケニーだ。ダブリンからは電車で2時間、日帰りで行くには絶好の場所だったので、早速始発駅のヒューストン駅までLUASで向かう。目的の電車は9時半発、駅に着いたのは8時半。この一時間いったい何をしようかと駅を一回りしていたらパブ兼カフェがあいていたのでとりあえずはいってみることにする。もう朝飯はいいかな、とはいえこの時間からギネス飲んでいる人もいないだろうな、なんて感じで店内を見渡すと結構な数のおっさんたちが一杯やっていた。じゃあいいや。早速自分も1パイントいただくことにする。
 すっかりいい気分になって再び列車が来るのを待っていたのだが、駅の電光掲示板が全く変わらないままでとっくに9時を過ぎているのに7時台の案内が出っぱなしだった。アイルランドはUKと違い電車の運行がわりと正確だと聞いていたが、この光景を目の当たりにしてその言葉が本当なのか少し疑ってしまった。構内アナウンスを聞くとどうやら列車は時間通りに来たらしい。まあ、おあいこだな。早速乗車したのだが、改札口の所にこんな文字が。”No alcohol on board”。なんと車内での飲酒が禁止だというのだ。そんなのアイルランドらしくない、と思いつつも、しょうがないのでノートPCを取り出してHP用の原稿を書きながら時間をつぶすことにする。その後なんだかんだで大きな遅れも全くなく電車は定刻どおりにキルケニーに到着した。

 
 
 さて、キルケニーといえば冒頭にも述べたように「キルケニー」の生まれ故郷だ。現在でも町はずれにディアジオの醸造所はあるのだが、もっぱらバドワイザーやハイネケンといった海外ブランドの製造を行っているとのこと。では今キルケニーはどこで作られているかというと驚くなかれダブリンのセントジェイムス醸造所らしい。
 そんな町の主要産業がなくなった今、この街は「芸術の街」としてよく知られている。もともと美しい石畳の街並みに、アイルランドの中でも特に美しいとされるキルケニー城がある風光明媚なところだから自然と芸術家が集まったのだろう。市内はデザインセンターという施設があって、創作、展示、販売を一か所で行える。街角でも似顔絵描きや自らデザインした小物を売っている人も多い。そしてもちろんストリートミュージシャンもたくさんいた。

↑小さくてすみませんがキルケニー市内で出会ったチェロ弾き。アイルランドではバイオリンなどのクラシック楽器を使うパフォーマー多し。

 街それ自体はあまり大きくなく2時間ほどあれば歩いて回れた。見所の一つであるキルケニー城はその建物も立派なものだったが、その敷地内を埋め尽くす芝生のまた見事なこと!広さも相当なものでおそらくいって帰って来たら小一時間はかかるのは間違いなさそう。鮮やかな緑色に感動したら、今度はとたんに腹が減ってきた。とりえず手近なパブで昼飯を食べる。昨日が午後5時のあまりに遅いランチだったが今日はしっかり12時、ランチタイムのランチである。なにも昼間から…と思いながらも、いきなりステーキを頼み、当然のごとくついてきた山盛りのチップスとともに無心で食べる。意外に楽勝だった。やっぱり昨日は朝飯の食べすぎだったことが改めて証明された。
 その後はいつものようにパブで飲んだくれ。行く先々で中国人に間違われたが、それほどまでに日本人がいないのか、それとも本当に中国人のような顔をしていたのだろうか?あまりあからさまに日本人とわかってしまうのはいやなのだが、だからと言って世界の観光客の中で最もマナーの悪い中国人に間違われるのはもっと屈辱なので、もう少し日本人っぽく振る舞ってみることにしよう。

↑荘厳な雰囲気漂うキルケニー城とその先に広がる芝生の絨毯。ここならナイスショットが期待できそう?(どうせ飛びませんけど・・・)

 5軒ほどパブを回ったところで帰りの電車の時間になったので駅に戻り、見事に時間通り来た電車に乗って一路ダブリンに戻ることに。

↑これぞKilkennyで飲んだ”KILKENNY”

 さすがにここまで飲んできた酒のおかげでうたたねしながらの帰り道なったが駅から出たところでその酔いも一気に冷めてしまった。朝方は降ったりやんだりの雨が一気にひどくなっていたのだ。LUASは満員状態、しかも雨のおかげで車内の湿度もかなり上がっている。まさかアイルランでに来てまで満員電車に乗るとは思わなかった。停留所から宿まで一気に駆け抜け、シャワーを浴び、びしょ濡れになった服を着替え雨がやむのを少し待ったが、その気配は一向に見られず仕方なしに宿に併設されているパブで晩飯を食べることにする。もし雨がやんだらもう一度外に出ようと思っていたので軽めにシーザーサラダで済ませた(これでも十分に食べごたえはあったが)。しかし、しばらく様子を見てみたものの雨脚はひどくなるばかり、諦めてもう一杯飲んで寝ることにする。まだこの国にきてナイトライフを楽しんでないなぁ・・・


8月15日(水)
 昨日も早く寝たので首尾よく5時半に目が覚める。いつも旅をする時と同じサイクルで寝起きしているのになんか損した感じがするのはなぜだろう。とりあえず昨日降り続いていた雨はもうやんでいる。今日はさっさと宿をチェックアウトしてゴールウェイに向かう予定だ。6時、荷物をまとめてレセプションに向かうと「こんな時間にもう出るのかよ」という顔で出迎えてくれた。非常に正直でよろしい。これからヒューストン駅に行きたい、と言うとまだバスもLUASも走っていないとのことで仕方なくタクシーを捕まえて向かうことにする。もちろんこんな時間だから渋滞もなく3分ほどで駅に到着。チケットを買い、今日はちゃんと表示されていた電光掲示板の指示に従って7時10分の定刻どおりに電車はゴールウェイに向かった。アイルランドにとって8月は一番の観光シーズン。その中でもゴールウェイはその沖合にあるアラン諸島への玄関口の役割もあるためこの時期は観光客が多い。電車の中でもスーツケースやバックパックを持っている人たちの姿が多く目に入った。約2時間半の移動時間は比較的快適に進みゴールウェイに到着したのは10時。またしても雨が出迎えてくれた。何もこの国の恨みを買うようなことはしていないのだが・・・すぐにやんだのでまあよしとしよう。
 
 とりあえず街の観光案内所にて本日の宿の予約をする。「なるべくゴールウェイの中心部に近いところ」というリクエストを出したら一軒だけ空いていたというので二つ返事でそこに決定。近くではなさそうだったが路線バスも走っているというし、まあ大丈夫だろうということにして次はアラン諸島、イニッシュモア島へのフェリーのチケットを手配する。ゴールウェイ発が12時、イニッシュモア島発が17時。ちょいと短めの滞在時間だが大して広い島でもなさそうだしこれだけあれば十分回れるはずである。ゴールウェイからフェリーの発着するロッサヴィールまで行くバスが11時に出るというので急いでバス乗り場に行きいざ出発。
 行く道すがらいい感じのパブを何軒も見つけるが無情にもバスは猛スピードでかけ抜けていってしまいカメラには収められず。第一バスの中は超満員で自分はいつもの通り通路側に座っていたからカメラを向けることすらままならなかったのだが。とりあえず無事ロッサヴィールまでは到着。次はフェリーとなるわけだがこのフェリーが実に豪快で荒波をかき分け前後左右に激しく揺さぶられ、外で写真を撮ろうとした世界中の観光客を水浸しにしたほどである。しかも島に着くまでの40分間これがずっと続いた。人によっては間違いなく船酔いする代物だがあたりを見渡す限りそんな人は皆無。さすが観光客は気合の入り方が違う。

 いざ上陸。そしていきなり腹ごしらえをする。今日はあの暴力的なアイリッシュ・ブレックファーストを食べてないのでこの時点で相当腹が減っているのだ。島で取れたての魚を使ったフィッシュ&チップスを大量のモルトビネガーとともに食らい、さあ、島内観光だ!と息巻いた瞬間に背中の大荷物に気づく。もし、自転車に乗ろうものなら全行程もれなく背中に大量のウエイトが付いてくる羽目になってしまう。これくらいの荷物をしょって自転車で四国を一周したこともあるがそれはもう10年近く前の話。同じように走れる保証はない。しばらく途方に暮れているとバスツアーが1台だけ残っていた。自分みたいに上陸→飯という人も多いということなのだろう。これなら荷物も気にならないし移動も楽だし喜んで参加することにする。同乗したのはアメリカから来た女の子二人組とやけに明るいイタリア人のオバチャン5人組だ。しかもこのオバチャンたち、英語がほとんど通じないらしくガイド兼運転手のアンチャンを大分困らせていた。

 車一台がやっとというほど狭い道を進み、最初の目的地はこの島最大の見どころである古代遺跡、ドン・エンガス。といっても車や自転車で行けるのはその手前の集落まででそこからは片道15分程度の軽い山道を歩いて向かうことになる。荷物は当然の如くバスに預け、近くの飯屋でギネスとスープ&ブラウンブレッドで腹を満たし、いざドン・エンガスへ。最初のうちは緩やかな傾斜だった道も後半は岩がゴロゴロした道になり、いまだに足首が痛む身には少しキツイ。それでもすいすい登れる程度の道だったのは幸いで目的地に到着。そこは芝生の緑と積まれた石のグレー、そして空と海の青と、雲の白しかない世界だった。遮るものが何もないまさに断崖絶壁、その先は大西洋が穏やかに広がり見上げれば青い空と白い雲だけ。まさに世界の果てに来た感じだ。古代の要塞とも儀礼のための神殿とも言われているドン・エンガスだが、どちらの説も十分に説得力がある。海からも、陸からも容易に攻め込まれることはなく、またここにいるだけで浮世のことなどすべて忘れることができ、何となく神聖な気持ちにさせてくれる不思議な場所である。ここを見ただけでこの島に来たかいが充分にあったというものだ。名残惜しいがこの絶景を後にしバスツアーは再び出発。島内の主だった見どころ駆け足で回り、見事に帰りの船が出る5時直前に港に到着。実に楽しいツアーに参加できた。この後もいろんなところで一緒のバスに乗ったイタリア人のオバチャン5人組はたびたび目にすることになる。黄色いレインコートを常に羽織り、イタリア語で大声でまくし立てていたのだから目立つこと目立つこと。


↑ドン・エンガスの絶景。とにかく荘厳、壮観!本当にここまで来た甲斐がありました。

↑イニッシュモア島での滞在を楽しくしてくれたイタリアのオバチャンたち。(ゴールウェイ市内にて偶然撮影、天気は快晴。)

 そして行きの便以上に揺れに揺れた帰りの船⇒日帰り客と泊りがけのバックパッカーでごった返すシャトルバスで無事ゴールウェイに帰り着く。船室の真ん中でいきなり座り込んでポーカーをやり始める実に豪快なバックパッカーの集団もいた。間違いなくオーストラリア人だろう。

 午後の6時40分にゴールウェイの駅前にてとりあえず佇んでみる。宿を予約したときに言っておいた到着予定時間は7時。まあ、まず間違いなく時間通りに到着することはないので開き直ってパブで一杯&晩飯を駅前のパブでとることにする。ピザやパスタをメインに売っているところだからここなら間違いないだろうと、パスタを頼んでみた。鶏肉が入ったクリームソースで鶏肉にもしっかり味があってクリームソースにもしっかりコクがあって大好きなマッシュルームも入っていてここまで完ぺきだったのにいかんせんメインのパスタが全然だめ。ゆですぎでコシも歯ごたえもあったもんじゃない!付け合わせでついてきたガーリックトーストはうまかったのでとりあえずそちらをメインに食べて腹も落ち着いたところで宿に向かうのだが、まともに道も知らない街でいきなり徒歩、もしくはバスで向かうのは、さあ迷ってくれ!ということなので駅でタクシーを拾って行くことにする。運転手のオッサンに住所を告げると、どうもそれだけではわからなかったらしく近くにいた同業者に道を聞いてようやく出発。どれだけ走ったかはよく分からないがとりあえず到着。初体験のB&Bは外から見たらただの一軒家だった。看板は玄関先につつましやかにあるだけ。はたしてこれが本当に宿なのか?と不安になりながらベルを鳴らすと宿のオバチャンがすぐに出てきてくれて歓迎してくれた。もちろんこんな静かな住宅街のB&Bに日本人が来ること自体珍しいから大変な歓待ぶり。特に首からぶら下げていたiPodが一番都会人らしかったようでした。

↑生まれて初めて泊まったB&B。どう見てもフツーの家。

 外もまだ明るいし、外出するかと聞かれたが、さすがにもう腹もいっぱいだし、酒も飲んでいい気分だし、何よりもう疲れていたし早速部屋で横にならせていただくことにする。ふと時計を見ると、9時。まだまだ外は昼間のようだが、今日はこれで終了とさせてもらった。昨日までの喧騒の中とは全く違う静寂の中でゆっくりと眠りに落ちて行った。

8月16日(木)
 というわけでゴールウェイ郊外のB&Bの一室にて気持ちよく朝を迎える。アイルランドに来て初めて青空の中での目ざめだ。こういった宿での楽しみである手作りのアイリッシュブレックファーストをいただく。絶妙な具合に半熟な目玉焼き、油はカリカリ、肉はジューシーのベーコン。皮がパリっと焼けたソーセージと内容はシンプルだがどれもうまい。トーストも、ブラウンブレッドもうまい。またしても朝から食べ過ぎてしまった。このカロリーを消費するために思い切ってゴールウェイ市内まで歩いていくことにする。宿のオバチャンに訊いてもどうやら歩いて行ける距離のようだ。簡単な道案内と昨日のタクシーの運転手が通ってきた道のおぼろげな記憶だけを頼りに歩き出す。2度ほど道を間違えたが、それをひっくるめても20分ほどで着いてしまった。なんかあっけなかったが、まあいいや。背中に大荷物を相変わらず背負いながら市内を見て回る。それにしても観光客の多いこと。地元の人との比率だけでいえばおそらくダブリンよりも多いのではないのだろうか?町の大きな見どころといえば大聖堂とスペイン門の2つくらいのもの。サクッと見終えてあとは港でボーッとしたりストリートパフォーマーの演奏などを楽しんだりしながら過ごす。天気は時折雨がパラつくもののおおむね晴れで気分良く歩ける。もちろんギネスもうまい。

↑ゴールウェイ市内にて。おそらく今まで見た中では一番の「ハナ肇の銅像」でしょう。
 

 時計も昼を回ろうかというところで、さて昼飯でも、といくつかの店を物色していたら”Fresh oyster available”の文字を発見。すぐさま飛びつき今年初の生カキを食べる。1ダースで23ユーロと少々高かったがそんなものは全く気にしない。ギネスとブラウンブレッドとともにあっという間に平らげて再び街歩きに戻る。


↑いや〜、どこの国に行っても、生カキってすばらしいモンですね。

 その後は再びゴールウェイの街を楽しみ、何杯かのギネスを飲んでからダブリン行きの電車に乗り込む。行きと同じ2時間半で電車はヒューストン駅に到着。昨日よりは湿度は少なかったものの相変わらず満員状態のLUASに乗ってギュウギュウに押しつぶされながら宿に到着。チェックインを終え旅の汚れを落とそうとシャワーを浴びたときに大アクシデントが発生!!

 ・・・まぬけな話だがバスタブで足を滑らせて顔から地面に落下。さらにその勢いで首が思いっきり反り返ってしまい、起き上がると強烈に首が痛い。とりあえず普通に歩けるからまさか折れているなんてことはないだろうが、さすがに場所が場所なのでなるべく首を動かさないようにして様子を見てみる。とりあえず手足は普通に動くし、自分がダブリンの宿の一室にいるということもしっかり把握している、目の焦点も合っているし、問題なしということにして首だけタオルでカバーして晩飯を食べるために夜の街に繰り出す。週末が近づいてきているだけあって街は実にご機嫌だ。自分も首を手で押さえがらギネス片手にライブ演奏を楽しんだ。ちなみに今日の晩飯はお待ちかねのアイリッシュシチュー。

↑これがウワサのアイリッシュシチュー。実にシンプルな作り方なのにこれほどまでにウマイとは!(左手で首を押さえながら撮影)
で、帰国後自分で作ってみました。(写真右)うまいんだな、これが。


本日3回目のブラウンブレッドにはだいぶやられたがこれが水だけで煮込んであるのかと思うほど味が出ていて実にうまかった。ただし、自分で作ったらたぶんもっとうまいんだろうな、とも思ってしまった。その後も今日こそは日没まで飲み歩き、10時過ぎに部屋に帰ってそのまま眠ってしまった。明日五体満足で起きられることを願いながら・・・

    
↑テンプル・バーのパブ。毎日何軒もハシゴしつつちゃんと写真だけは撮っています。

8月17日(金)
 目が覚めた。手足が動く!まあ、そんなに大袈裟に騒ぐことではなかったということか。とりあえずまだ少し痛むもののだいぶ楽になった。久々に生きている喜びをかみしめながら朝食へ向かう。今回の宿はコンチネンタルブレックファーストでパンとシリアル、それと少しのチーズとフルーツといういたってシンプルなもの。ここまで毎日アイリッシュブレックファーストを食べてきた身には恐ろしく物足りない。どうやらここまでの滞在ですっかりアイルランド人の胃袋になったようだ。まあ、これくらいがちょうどいいのかもしれないのだが。

 今日はいったい何をしようかな、本来ならアイルランドの中の外国、ベルファストへ行こうかと思っていたのだけど、片道2時間半の道中延々と首を手で押さえながら座っているのは疲れるだけなので断念。まだ夜も明けたばかりの部屋で考えていたところダブリンから電車で30分ほどの所にHOWTHという漁港があるのでそこに行ってみることにする。ターミナルであるコノリー駅から出ている近郊列車のDARTで30分、そこはもう完全な漁師町だった。埠頭には漁船がズラリと並び、すぐ脇には魚屋がズラリと並んでいた。とれたての魚介類を食べさせてくれる店もあったのだがどこもオープンが1時とかいう店ばかり。こういう所こそ朝早くからやってしかるべきなのだが、どうも日本の常識とは違うらしい。昼になってもほとんどの店があかないので駅前のパブでギネスを一杯やって市内へ戻った。

昼飯はフィッシュ&チップス屋に行ったのだが趣向を変えてスモークド・コッド、つまりタラの燻製をいただくことにする。脂ののり具合と塩味、そして燻し方も絶妙でここまで油で揚げた魚しか食べてなかったので実に新鮮な気持ちで一気に平らげる。そこからはお土産を物色しながらダブリンの街を頭に焼き付けるべく歩きまわる。もちろんその断片にパブとギネスを入れることは忘れない。まだまだ日が沈むまでには時間がたっぷりある。グラフトン通り、オコンネル通り、セントスティーブンスグリーン、テンプル・バー・・・次訪れることができるかどうかもわからない街である、しっかりと覚えておかなければ。
 最後の晩の夕食はせっかくだからアイルランド料理を「ちゃんと」出してくれるレストランに行った。頼んだのはビーフ&ギネスとサーモンステーキ。これをどんな感じでちゃんと出てくるのかと思った予想以上にちゃんとしていた。

↑こんなおしゃれなビーフ&ギネス見たことない!(右は自分で作ってみたビーフ&ギネス)

↑これも実にお上品なサーモンステーキ。塩鮭に慣れた日本人には塩味が足りないかも。

すっかり満腹になったところで最後にもう一杯と入ったパブで自家醸造ビールを見つけてしまいさらに飲み過ぎてしまった。まだこれから荷づくりもしないといけないし、明日の朝は6時起きだ。しかし、ようやく暗くなった街はこれからとばかりにそのテンションを上げている。それでも何とか思いとどまり部屋に戻る。小雨交じりのダブリンの夜、静かに眠りにつき明日東京へ帰る。腹一杯アイルランド料理とギネスですっかり増えた体重とまだ残る首の痛みとともに。

月18日(土)
 というわけで帰国の日。飛行機は8時55分発なので余裕を持って6時過ぎには宿を出る。またしてもレセプションのアンチャンに「こんな時間に出るのかよ」という顔で見送られタクシーで一路ダブリン空港へ。遅めの夏休みを大陸側のヨーロッパで過ごそうという人たちでチェックインカウンターは大混雑。国際空港としてはあまり規模の大きくないダブリンだけど(B747やA340はついぞ見なかった)免税店や飲食店が充実して見て回るだけでも飽きない。行きと同じBae146に乗り込むと行きの便と同じ中国人家族(6人家族)がジェイムソンのウイスキーをひとり1ケース(24本)ずつ買っていてその置き場所をめぐってCAのオネーサンを困らせていた。もう少し常識を考えろよ。まったくどこの国に行っても中国人はマナーが悪い。パリについてからも相変わらず手荷物検査で散々待たされて、成田行きの飛行機に乗ったのは出発10分前。周りの景色など見ている余裕もなくほぼ座ったと同時に飛行機は動き始めました。

首は、飛行機に乗っている間もとても痛かったです。


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