期間 2007年5月3日~5月6日
(行ってきた人、文、写真=IAN-G 同行者=いません)
↑アオザイ美人とバイクの群れ。ベトナムの第一印象なんてそんなモンでした。しかし・・・
5月3日(木)
前日寝たのが夜の2時のはずだったが今日目が覚めたのは朝の4時!しかも目覚ましもなくてこの時間だ。どうやらはじめてのアジア旅行で少々興奮しているらしい。用意していた荷物をパッキングして東京駅へと向かった。
いつも利用する朝7時発の成田エキスプレスは残席わずか。いつも大晦日や、夏休みに使っているとたいした混雑はなかったのだが、今日はゴールデンウィーク後半4連休の初日。多くの日本人がいっぺんに大移動を始める日だということはまったく頭に入っていなかった。デッキにまで人があふれかえっている。乗っている人の顔ぶれもいつもの旅行馴れしている人たちは少なく。晴れの海外旅行を迎えて、フル装備で望もうという人たちがほとんど。隣に座っていたオッサンもツアーでペナン島に行くとのこと。よくニュースで耳にする「大型連休を海外で過ごす人たち」を目の当たりにし、そして自分もその一員になり少し感心していたら電車は成田に到着。
空港についてからはいつものように両替、保険、そして買い物を手早くこなす。何より困ったのが両替。まず日本ではベトナムの現地通貨であるベトナムドンには両替できない。一応場所によっては米ドルがそこそこ流通しているということなので2万円ほどドルに両替した。(そんなにいらなかったのはすぐに気づくのだが、これは明らかに両替しすぎ。5千円でも多すぎるくらい)。
↑ベトナム航空のB-777。成田にて撮影。ホーチミンではこの巨体にもかかわらずタラップで降ります。
チェックインを済ませてJALのラウンジにて全自動サーバーで注がれた生ビールを朝っぱらから飲んでいたらあっという間に搭乗の時間。ベトナム航空はシートの心地よさや機内食の味などは二の次でとにかくアオザイ姿のCAが美人で、それを眺めながらベトナム名物氷入りビールを飲んでいるだけであっという間に6時間が過ぎてしまった。途中ジェット気流を斜め横断するために結構揺れたが大きな問題もなくホーチミンへ到着した。
かつてのサイゴン、今のホーチミンシティは気温35度の猛暑日、窓から見えるのは古くなった軍用ヘリコプターやおそらくもう使われていない偵察機やら、戦闘機ばかりでそれまでの「国を代表する玄関口」の趣がまったくなし。むしろしっかりとこの国が「社会主義国」であることを思い出させてくれた。別段最先端の設備もないこの空港は飛行機から降りるときもいまだにタラップ車だ。まさかB-777クラスの旅客機に乗ってまでタラップで降りるとは思っても見なかったが、外に出るといきなり突き抜けるような青空がお出迎え、輸送機に乗って連れて来られ、これから前線に向かうアメリカ兵じゃなくて本当によかった。記念に写真でも、とカメラを構えた瞬間目に入ったのは階段の下で待機している公安のアンチャン(!)まさか、ここでいきなり入国拒否されて日本に送り返される事はないだろうけれどもここでカメラを押収されても困るのでここの風景を撮るのは何とか思いとどまりイミグレーションへ向かった。ここでも係官は軍服を着ている。一時間近く待って何とか通過し、荷物を取りに向かうとすでにコンベアから下ろされて床に転がっていた。スイマセン、プライオリティタグがついているんですけど・・・間一髪のところへ救い出し、晴れてベトナムに上陸。
ホテルに向かうタクシーを手配してから成田で両替したドルをベトナムドンにさらに両替する。$50出したらなんと札束になって帰ってきた。なんだか金持ちになった気分だ。これだけ現地通貨が安いのでは観光客がスリの被害に遭うというのもうなずける話だ。無駄に活気のあるタクシー乗り場に案内され、無駄に明るい運転手のガイドと聞きながら、一路サイゴン市内に向かう。バイクの波をかきわけ、アジアの街の雰囲気を楽しみながら20分ほどでホテルに到着。
今回泊まったオスカー・サイゴン・ホテルは地図で確認したところでは市内の目抜き通りであるグエンフエ通りに面しているということだけは確認できたが着いてみてビックリ!かなり豪華なホテルだ。旧フランス植民地だけあって星による格付けがホテルにもあり、オスカーは三ツ星(最高で五つ星)、それも気になるのは眺望や建物の古さやエレベーターの遅さくらいで、部屋はキレイで広々としていて、サービスも申し分ない。英語が通じるし、レセプションのオネーサンのアオザイ姿もきれいだし、これがあのロンドンの
「レセプションが愛想の悪いインド人が一人だけで、部屋の鍵がマンガに出てくるような山が3つだけの単純なもので、しかも屋根裏部屋で窓にはヒビが入りまくりでとにかく寒かった」
あの部屋と同じ値段なのかと目を疑ってしまった。ひとしきり感動してから、荷物を解き、シャワーを浴び、ビールを一杯飲んで早速夕方の街を歩いてみることにする。
↑夕暮れのサイゴン川沿いと旧市場。これぞアジアの町並み
右も左も分からないままサイゴン川沿いに向かって歩いてみることにする。程なくして旧市場に出くわした。あふれるほどの物、もの、モノ!!活気にあふれた通りはどこも写真に収めたくなるほど魅力的な表情をしていた。周囲の目を気にせず撮りまくってしまった。ひとしきり歩き回って日が沈んできたのは7時頃。屋台で飯を食べ歩くのは明日以降にすることにするとして今日のところはホテルのの裏手に見つけたバーにて一杯飲んで、ついでに晩御飯も食べて部屋に戻る。長旅に加え、ここ数日ろくに寝ていなかったからシャワーをもう一度浴び、ベッドに横になったらそのまま眠ってしまった。ま、いいじゃないですか、少しくらい好きに寝させてもらっても。夜が更けて、まどろみの中でも市内を往来するバイクのクラクションの音だけがいつまでも響き渡っていた。
5月4日(金)
特にそう心がけているわけでもないのだが、旅行に行くと決まって朝の5時半に目が覚める。大抵前日酔っ払って11時ごろには眠ってしまうので往々にしてその時間になってしまうわけだ。
前日書けなかった日記を書いてからホテルのダイニングにてビュッフェスタイルの朝飯を食べる。別に朝早くからやっている店などいっぱいあるのだが、何も朝から大汗かくこともないだろうというわけで、フォーとお粥とフランスパンという「とりあえずベトナム名物」を食べてから街に出ることにする。
今日はとりあえず市内のめぼしい観光名所から見て回ることにする。市内の主な観光スポットというと、植民地時代の趣を残す建物で、中央郵便局に聖マリア教会、人民委員会や統一会堂がそれにあたる。政府関係の建物はとにかく周りに公安がウジャウジャいてゆっくり見て回れない。もし写真でも撮ろうものなら速攻でカメラごと破壊されかねないのでおとなしく見て回るだけにとどめる。実に雑然とした都市だが青空だけはきれいだ。
↑人民委員会の前のホー・チ・ミン像(左)と中央郵便局(右)。どこにいてもバック・ホーがベトナム国民を見守っています
昼飯は近くのフォー屋にて基本の牛肉入りフォーをタイガービール片手に食べる。パクチー、コリアンダーの葉、生のモヤシ、そして唐辛子のトッピングがついてくるのが一般的だが、くせ者はこの唐辛子、食べはじめにスープの中に入れてしまうと最後のほうには泣くほど辛くなる。あまつさえ誤って食べた日には汗が小一時間噴出し続けどんなに水を飲んでも舌は熱いまま・・・なんて代物なのだ。何でそんなことが分かるのかって?見事にすぐにスープに浮かべたうえに、かじってしまったからですよ。半泣き状態で、宿に戻りシャワーを浴びてビールを飲んで汗を引っ込めて、舌も落ち着いたところで街歩き再開。サイゴン市民の台所、ベンタイン市場へ行ってみることにする。
宿のあるグエンフエ通りから徒歩で5分くらい、周辺にはバスターミナルやお土産屋、安宿街もあるためにとにかく人の往来が激しい。道が広いからバイクや車は何列も横並びになって走るうえにこれだけ広い道なのにもかかわらず、信号機、および横断歩道の類はまったくなし(!!)「こんなの渡れねぇよ!」などと心の中で叫びつつも気合一閃走りぬけ何とか市場の正門にたどり着く。たどり着いた瞬間にシクロやバイクタクシーのオッチャンどもが群がってくる。下手に振り向いたり話に乗っかったりすると厄介なので早足でわき目も振らず市場の中へ入る。
↑サイゴン市民の台所、ベンタイン市場。市場前の道はとにかく広い! 信号機はない!横断歩道もない!
これまで、東京、シドニー、メルボルン、パース、シンガポール、カーディフ、オックスフォードと、いろんな街のマーケットに潜入してみたが、そのどれとも違う雰囲気を持っていた。まずなんといっても通路が狭い!中央で交差する大通路だけはそれなりの幅があるものの少し脇に入ると人ひとり通るのがやっと、というところばかり。そこにできるだけ多くの商品を並べるわけだからその様相は市場というよりむしろ倉庫か物置か。冗談ではなく人が突然ヌッと現れることもありびっくりさせられる。市場内でスリの被害が絶えないというのも納得がいくというものだ。
そしてほぼすべての品物に値段がついていない。どうやら定価という概念がないらしく、すべては交渉次第。われわれ観光客には高くフッカケられるわけでなかなか商売上手だ。もちろん大量に買ったときや売り子のオネーサンをうまくおだてたりすれば安く上がることも確かで、ここら辺が華僑と違うところだ。
あまり強引な客引きもなく、ゆっくり見て回ることができたが、これは!という逸品には出会えないまま、市場を後にして、その後はデタム通りやその近くにある骨董品屋街にも足を運ぶ。すでに建物がアンティークで、中をのぞいてみるとすべてが時が止まったかのように年季が入っている。自分の家のガラクタも積んであってどこからどこまでが売り物なのかも皆目見当がつかない。このとおり全体にやる気が感じられないのだ。いくつかの店頭にはVISAやMASTERが使えることを示すシールが貼られていたがこう言ってはなんだか、あんまり使いたくないなぁ・・・
そんな感じで街を練り歩いて気づいたらもう夕方。再び宿に戻りシャワーを浴びてから今度は晩飯探しである。もちろん屋台である。とりあえずベンタイン市場の周りにナイトマーケットが出るそうなのでこういうところなら英語も通じそうだし、安心して飲み食いできそうなので行ってみることにする。正面入り口の方から行くのは昼間でもう懲りたので今度は裏門を目指して歩いていくと、昼間の喧騒をさらに上回る熱気であふれる屋台街に到着した。このナイトマーケットと屋台街というのは東南アジアの国々に行く際の楽しみの一つ。訪れるたびに同じアジアなのだからぜひ日本にも、と熱望するのですが、日本は冬が寒いから屋台街を普及させるにはちょいと難しいかな、取り締まりも厳しいしね。
さて、とりあえず席に座り食べまくることにする。といってもひとりなので食べられる量にも限界がある。なので、「軽く一皿&一杯」を何軒もはしごする方式をとって食べまくる。屋台により代表的なベトナム料理をそろえている店、肉がメインの店、魚介類が得意な店など特徴があり飽きることがない。この日食べたのは定番の生春巻きや、シンプルなモヤシニラ炒め、何の肉かは分からないがとにかく焼いた肉を大量のパクチーと蓼の葉で食べるというなんとも無茶な代物までを氷入りのビールとともに平らげる。
↑活気あふれるベンタイン市場脇のナイトマーケット。夜が更けても皆さん元気です。
酔っ払いながら人の流れを眺めていると皆生き生きとしている。どうやらこの街が本格的に動き始めるのは夜らしい。学校から帰ってきた子供たちも店番していたり街角で物を売ったりと忙しい。明日の朝も早いはずなのに大変だなぁ、と同情してこちらもついつい買ってしまう。夜の街の人々の熱気を楽しみながらとりあえず今日のところは宿に戻ることにする。
と、その前にもう一杯だけ、と近くのバーに入るとさすが金曜の夜、店は満席でとりあえずタイガービールを片手に少し開いていたビリヤード台の前に陣取って飲んでいるうちにプレーしていた欧米からの観光客や地元のオネーチャン達と意気投合してしまい一杯のはずのビールも結局四杯飲んでしまった。オーストラリアやイギリスのパブでは基本的に一軒につき5分もいないことのほうが多いからこういった感じで海外の酒場で地元の人たちと触れ合うということもあまりない。めったに遭遇できない状況に少し舞い上がってしまいましたな。千鳥足で宿に戻り、さすがに疲れたのですぐに眠ってしまった。実に充実した一日でした。
5月5日(土)
いつものように5時半に起床。昨晩飲みすぎたせいか少しだるい。シャワーを浴び、迎え酒をしてサッパリしたところで出かけることにする。今日の目的地はチョロン。サイゴンから5kmばかり離れたところにあるこの地区に行くにはさすがに徒歩ではきつい。炎天下、道が悪い中、信号のない交差点を何度も越え、バイクタクシーのオッチャンに延々声をかけられるなか5キロも歩いたらそれだけで疲れてしまうので今回はバスを利用してみることにする。
↑サイゴンのバスターミナル。道幅広っ!! 信号機はない!渡れねぇよ!!
ベンタイン市場の向かいにバスターミナルがありそこから出ている1系統がチョロン行きである。料金は3000ドン、観光客の感覚でいうと恐ろしく安い。そんなだからさぞかし観光客が多く乗るんだろうと思っていたら意外にも乗客は地元の老人ばかり、ガイドブック片手の観光客は2~3人程度。思えばこの国に来てから自分の足以外での移動が空港→ホテル以来で、さすがにこのときばかりは現代文明に感謝。道はそのほとんどが工事中。バスの周りを取り囲むようにバイクが走り、ぶつかるギリギリのところでぶつけない運転技術はまさに神業 (だが2~3台は間違いなく轢いているはずだ。)30分ほど走るとチョロン地区に到着した。
チョロン地区は平たく言えばチャイナタウンであるが、それ以上にサイゴン市内の生活用品や商売道具を一手に扱う問屋街でもある。店先には屋台でよく見る小さい椅子やテーブルが山積みに、ほかの店先には袋一杯の干しえび、さらに別の店には味の素が敷き詰められその様相はさながら白いじゅうたん!さすがにこれだけ積んであるとその中に違う白い粉が混じっていても気付かないと思う。とにかくどこも売っている量が半端じゃないのだ。道を歩いていてもバイクやシクロににありえないないほどの荷物を器用に載せてフラフラになりながら走っているオッサンをよく見かけた。
↑チョロンという場所はは加減というものがありません。とにかく人も物もあふれかえっています。
まずは地区の中心にそびえたつビンタイ市場に入ってみる。入ってみてすぐに感じたのは「ここはもはや市場じゃなく倉庫だ」というくらい暗くてモノが多くて人気がない。むしろ外周にせり出してしまっている露天のほうが活気があった。そこにはそれこそ袋一杯の乾燥えびや一抱えはあるであろうパクチーや果樹園に行ってもそんなにはないというほどの果物があふれかえり、人が通る隙間はほとんどなし。バイクやシクロが通るだけでも大変なのに、自動車なんて来たら完全に人の往来が遮断されてしまうほど。何か買ってみたい衝動にも駆られたがとんでもない量を買わされる羽目になりそうなのでやめておいた。買い物天国ベトナムではあるが、チョロンでの買い物はあまりお勧めできない。
ひとくされビンタイ市場の周りを歩き回りさらに近くの廟や観光施設を見て回る。
↑チョロンの巨大な倉庫。ビンタイ市場
とその頃ちょうどお昼になり近くの学生たちがいっせいに学校から出てきた。そう、今日は土曜日。みんな半ドンなのだ。道があっという間に制服姿の少年少女に埋め尽くされて息苦しくなってきたので、適当に指差し注文で買ったコーラ(炎天下なのでホットになってました。)を飲み、さらに暑苦しさ倍増になったところでチョロンを後にする。帰りのバスを探すのにさらにひとくされ迷い、乗ってからもあからさまに行きとは違う道を通って「本当に大丈夫なのか?」と心配になりながらも無事ベンタイン市場前に到着。ここまででとてつもない量の汗をかいたのでいったん宿に戻り、涼んでから再出発。昼飯はガイドブックにも乗っていた雷魚のフォーを食べさせてくれる店に行く。確かに肉と香草と唐辛子という強烈な個性がびっしり詰まった肉のフォーに比べると実にあっさりした味わい。初心者にもお勧めです。
↑ベトナム中学生の一斉下校。あまりにみんな一斉に帰るあたり、部活動とかはあんまりないみたいです。
午後はお土産探しをかねてショッピングに向かう、市内の中心部にある国営百貨店の中には有名ブランドもいくつか入っているが(日本の「資生堂」もありました)、その国の「素」の品物を、というと市場やスーパーマーケットで探すのが一番。特にスーパーは定価がちゃんとあり、一ヶ所で食料品から日用雑貨までそろうのでやはり国営百貨店の中にあるスーパーで品物を物色。生鮮食品は市場で買う人がまだまだ多いのか品揃えは少なめ、しかし、飲み物はコカ・コーラもペプシもレッドブルもあるしワインやウイスキー、ブランデーだってそろう。日用品に目を向けると、ベトナム名物の長手袋&マスクのセットもあるし、テーブルウェアなんかもいいものが結構あった。調味料は観光客向けにミニチュアサイズのヌクマムがセットで売っていたが(もちろん大瓶もあり)、その他は世界中でおなじみのマギーや李錦記ばかり。とりあえずお土産としてヌクマム、ライスペーパー、インスタントのフォー、それにほかではあまりお目にかからないハス茶を買う。しめて16万ドン。日本円で1000円チョイといったところ。われわれ観光客からすれば非常に安いがサイゴン市にとっては結構な額なのでしょう。買い物客も観光客がほとんどでした。
そして夜。再び晩飯を求めて外に出る。そろそろ手持ちのベトナムドンが減ってきたので英語でガイドしてくれるHSBCのATMで現金を下ろし、いざ出発。(この時のおろした金額は一晩豪遊できるほどのものでしたが日本に帰って通帳を確認するとカード手数料のほうが高かった。)
昨日で屋台での振舞い方が分かったので、今日はいくつかの挑戦をしてみることにする。まずは軽いつまみでビールをグイグイ飲んでから、もっとも手ごわいホビロンを食べる。この、ホビロンとは「孵化しかけのアヒルの卵」。この「孵化しかけの状態」というのが見た目的にすさまじく、これまで聞いてきた情報によると「目やくちばしといった細かいところまで出来上がっていて、ほとんど鳥」らしいのだが、その一方で「卵も鶏肉も好きなら間違いなくおいしく食べられる」ということでもあり、意を決していざ御対面。エッグカップにうやうやしく乗せられたそれはどこから見ても普通のゆで卵。付け合せはライムと蓼の葉で、これらと一緒に食べるのが正しい食べ方なんだそうだ。しばらくにらめっこしてから皮を半分むいていくと・・・いた。ほぼ鳥になっている物体が。しかし、いまだに黄身の部分も残っていて形容しがたいいでたちだ。恐る恐るライムを振り、目をつぶって一気に口の中にホビロンを放り込み、その勢いで蓼の葉も一緒に口へ運んで全てが落ち着いたところでじっくり味わって見ると・・・
うまい!!
この味も実に伝えにくいのだが、「卵なのに鶏肉の味がして、肉の食感なのに卵の味がする」というのが近いだろうか。とにかくうまい!このうまさを知ったことでその見た目から来る恐怖心が幾分か消えて近くにいたアオザイ姿のウエイトレスのオネーチャンに
ホビロン、おかわり!
と言い放ちこの日結局4つも食べてしまった。
↑これが「ホビロン。この見た目普通の卵の中には・・・
ほかには何を食べたかというと。まずはヤギ肉。市内にヤギ鍋専門店が並ぶ通りがあるのだがさすがに大人数で食べる鍋はつらいのでヤギの乳肉の炒め物を食べる。これがコリコリした独特の食感でまったく食べ飽きない。もともと内臓料理は好きなのでこれは大当たり、ちなみに翌日も食べました。
↑ヤギ肉の炒め物をサイゴンビールとともに(左)。カエル、吊るされてます。オバチャン、品定めしてます(右)。
次はカエル。ホビロンを食べた店で一緒に頼んだのですがまず驚いたのが、店先でこれから調理するであろうカエルがジタバタしていたこと。そして、「カエルください」と頼んだときに「皮は剥いで調理するか?」と聞かれた。この国ではカエルは丸ごと調理するのか!と一瞬ビビッてしまった。結局皮は剥いでもらいました。フランス料理でもシンガポールの土窯田鶏粥でもカエルは皮を剥いで食べてますけど・・・
さらに、ベトナム風お好み焼きともいえるバイン・セオも食べたし、うなぎの唐揚げもいただきました。この間空けたビールはタイガービール、333、サイゴン、サンミゲルを取り混ぜて6本ほど。氷を入れて飲むから思ったほど酔っ払うことがないのは果たして喜ぶべきことなのか。すっかり満腹&いい気分になったところで宿に戻ることにする。帰り道は週末だからなのか昨日と比べて路上の物売りの子供が多かった。
よくよく観察して見ると、声をかけるのは観光客だけで(当たり前か)、簡単なあいさつ程度なら7~8ヶ国語くらいは話している。またそれぞれにテリトリーがあるのか買わないとどこまでもついてくる、なんてことはなくある一定の場所を境にあっさりとあきらめて次の客を探す、ということを繰り返していた。お菓子類を売っているのがほとんどだったが花を売っている女の子もいた。その姿は実に絵になるのだが、観光客は花なんて買わないよなぁ・・・
またしてもホテルの裏のバーで少し飲みなおして部屋に戻ったのは昨日と同じくらいの10時。シャワーを浴びてベッドに直行しました。ああ、疲れた
5月6日(日)
ベトナム旅行もいよいよ最終日。帰りの飛行機は夜の11時発だから時間に余裕を持って7時半くらいまでに空港に向かえばいいからこの日も実質一日遊べるのだけど、昨日おとといで市内のめぼしい場所はほとんど見て回ったし、チョロンにも行ったし、何をしようかまったく考えてなかった。とりあえず朝早起きして旧市場周辺を歩き回った。結構いい写真も取れました。そして朝飯に何度食べてもうまいフォーを食べて荷物をまとめてチェックアウトに向かう。荷物は出発まで預かってもらうことにしてとりあえず街に繰り出す。
↑旧市場にて撮影。どこを撮ってももれなく店番のお嬢さん、オネーサン、オバチャンが入ってきます
暑い!おそらくこれまで過ごした4日間のうち最も暑かったのではないかというほどのまさに猛暑日。しかも、湿度もバッチリ高く不快指数は時間が経つほどにうなぎのぼり。これまでならいったん部屋に戻り、シャワーを浴びて汗を引っ込めてから再び外出、ということができたものの、すでに宿はチェックアウトしてしまったからシャワーを浴びてリフレッシュということはもうできない。このまま街中を歩き続けたら冗談抜きで体が溶けてしまう。服もまるで水をかぶったかのようにびしょ濡れになってしまう。仕方なしに。なるべく冷房の効いているところを探し、本屋(ベトナムの本屋はなんと国営!)や百貨店をハシゴしてさらにお土産探しを始めた。さすがにベトナム語は分からないから本は買わなかったもののいつものようにCDはなんかよさそうなジャケットを選んで2枚ほど購入。海賊版がかなり横行しているが、国営の本屋で売っているものなら安心して買える。1枚3万ドン。安い!
昼飯の後今度は戦争証拠博物館に行った。こんな活気あふれる街だが、ほんの四半世紀前までこの国はアメリカ相手に戦争をしていたというのはベトナムを語る上で忘れてはならないことのひとつ。超大国に勝ったという誇りの影には度重なる北爆、枯葉剤による奇形児、あまりに残忍な兵器に拷問や虐待など目を背けてはいけない惨状があったことを改めて思い知らされた。館内には有名な沢田教一の写真や当時の「しんぶん赤旗」も展示されていて日本にとっても他人事ではなく、さらに世界各国のベトナム反戦キャンペーンのポスターや資料もあり、当時のベトナム戦争がどれだけ社会に影響を与えたのかというのも知ることができた。この国のダークサイドを見たことでかえってこの国がより好きになってしまった。こんな歴史を持ちながらそれでも底抜けに明るいベトナム人を尊敬してしまう。
夕方になりこの国で最後の晩飯を食べるべくベンタイン市場に向かうとまだ屋台は設営中。市場の中はぼちぼち片づけを始める時間で人もまばらだったのでこれならいいだろうと写真を撮りまくる。よくよく見て見るとこの市場、働いているのは女性ばかりだ。この国が魅力的な理由のひとつがなんだか分かったような気がする。
↑屋台、設営中。
この日の晩飯は昨日に引き続きヤギ肉炒めと、魚介の串焼き。昨日までの暴飲暴食からは少しペースを落としてベトナムの味を噛みしめる。いい気分になったところで、荷物を受け取りタクシーにてサイゴンを後にする。
すっかり夜の帳が落ちた空港に向かう道はネオンサインがどこまでも続いて明るかった。アオザイ美人に釣られてよく分からないままやってきたベトナムだったけど、行ってみないとわからない奥深さという点ではどの国にも勝る魅力にあふれていた。
旅行中かなり暴飲暴食だったのですが食あたりはまったくなし。だというのに帰国後、イミグレーションを越え、検疫を過ぎたとたんに悪寒が走り始め、その後3週間風邪にうなされ続けました。帰りの飛行機がやけに涼しくて乾燥していたのが原因だったのでしょう。記憶は遠くなり、全てが幻だったかのような旅行でした。