IAN-Gの無謀旅日記
~ブラジル、サンパウロ編~
期間 2010年10月26日~2010年11月1日
(行ってきた人、文、写真=IAN-G 現地同行者=伯母と従姉妹二人)
↑パッと見日本?いやいやここが地球の裏側。すいませんが今回は少し写真少なめです。
10月26日(火)
今回の旅、はるか地球の裏側に行くというのに実に淡々と進んでいった。成田まで行くリムジンバスも渋滞なしですぐ着いたし、チェックインもすぐに終了。ギリギリだったけど通路側の席も取れたし、保険、両替、朝飯、酒盛り、搭乗までのいつもの流れがまったく滞ることはなかった。ここまで何も起きないのも少し怖いが、ブラジルはどうやら自分のことを歓迎しているらしい。
まずは毎度おなじみロンドンまでひとっ飛び。航空会社はもちろんヴァージンアトランティック。前回は勢いあまってアッパークラスに乗ってしまったが今回は1段下のプレミアムエコノミー。周りはみんな外人ばっかり。預けていた荷物にはギターやドラムもあってどうやら来日してきたバンドの皆様らしい。
席は、もちろんエコノミーに比べれば格段に広いが、それでも窓側の人に気を使ったりと安心はできない。独立したキャビンであることが売りなのだが、戸板一枚後ろのエコノミークラスの先頭が赤ん坊連れで、フライト中ほぼ泣きっぱなしだったし、隣に座った英国人らしきおっさん(医者)はその狭い席をかなり自由に立ったり座ったりを繰り返していた。あそこまで遠慮なく動く姿はある意味尊敬してしまう。結論から言えばまったく落ち着けないフライトだった。おかげで着陸の順番待ちでヒースロー上空を10分間ほど旋回していた分をプラスして合計12時間の飛行で寝られたのはたった15分だけ。
久しぶりのヒースロー空港。UKはホーム同然と思っているが、そのホームに入るための関門がひとつ、イミグレーションだ。成田で「預けた荷物はいったん入国して受け取ってください」の指示もあったし、サンパウロ行きの便まで6時間も空いている。これは入国しなくては損だ。しかし、正直に書くと入国カードに連絡先なし、滞在日数1日というのはどう見ても怪しい。前回、前々回はユーロスターで入国したから審査もゆるかったが、世界一厳しいイミグレーション相手ではどんな突っ込みを受けるか分かったものではない。なんといっても「何でこんな国に観光で来たがるの?」と真顔で訊いてくる国だ。やや緊張の面持ちで係員にパスポートと入国カードを渡すと「どこ行きに乗継ですか?」と聴かれただけであっさりパス。ガトウィックやスタンステッドに移動して乗り継ぐ人もいるし、その日のうちにユーロスターに乗る人もいるからいわれてみればそれほど特別なことではないのだ。
とりあえず入国できたので早速ヒースローエクスプレスでパディントン(Paddington)まで行く。あいにくの雨だが、線路脇にはトレリックタワーが変わらぬ存在感で鎮座している。駅に着いたらとるものとりあえずリアルエールで乾杯。生き返る。まだ時間はあるのでブラジルから帰ってきたときのシミュレーションとばかりにチャリングクロスの駅でレフトラゲッジを確認。エンバンクメント(Embankment)→テンプル(Temple)と歩き、ブラックフライアーズ(Blackfriars)の歴史あるパブ、その名もズバリ”BlackFriar”でまた一杯。肝心のブラックフライアーズの地下鉄駅が閉鎖中だからかなり有名なパブなのにこれまで行ったことがなかったのだ。とりあえず目標をひとつ達成したし、雨もひどくなってきたので地下鉄に乗ってパディントンに戻る。ここまでほぼ24時間起きっぱなしだ、リゲインも無しで、酒は飲んだけど。
ヒースローに戻り今度はブラジル行きの便の搭乗手続き。BA専用ターミナルのT5は夜間では必要以上の広さで、自動チェックイン機で搭乗手続きをして荷物を預けて終了。この時点でかなり眠くなっていてその動きはいつもの怪しい東洋人。そして案の定出国審査で別件で調べられる。オーストラリアのときと違って穏やかに「たいていの空港でこうしてチェックをされるけどなんででしょうかね?」と軽く毒づいてみたもののいつもどおりの「ランダムでお願いしてますから」の一言で送り出される。ま、そう言うしかないよな。
ブラジルまでの機体は久しぶりのジャンボ。ボーイング機に乗るのも2年ぶりで、入った瞬間「こんなに広かったっけ?」席はこちらもプレミアムエコノミー。6時間のフライトでも窓際や真ん中の席になったら耐えられないのに、まる一日飛行機乗るのに延々エコノミーでそんな境遇になったらサンパウロに着く前に燃え尽きてしまう。厚みのある背もたれとレッグレストのおかげで眠れる姿勢も見つかり、ほぼ眠った状態の中離陸。エンジン音の大きさはやっぱりジャンボ。ひときわ大きな唸りを上げて離陸した。静かなエアバス機に慣れてしまったようで一度は目が冴えてしまったが、夜発朝着のフライトで外も真っ暗だし、周りもみんな寝ているし、何より疲れたので11時間半のうち5時間は眠ることができた。少なくとも時差ボケは回避できそうだ。
10月27日(水)
太陽の光がキャビンを照らし始めるころにはすでに南米大陸、サンパウロの上空。分厚い雲を抜けてグアルーリョス空港に着陸した。自分たちが乗っていたBAやルフトハンザ、アリタリアなどのおなじみのエアラインはこの空港では脇役。航空立国ブラジルのTAM航空とゴル航空がエプロンをほぼ支配。ほかにもコロンビアのアビアンカやパナマのコパエアーなど成田ではまず見かけることのできない機体が彩りを加えている。久しぶりの地上を踏み締めつついざブラジル初上陸。
到着が遅れてしまいイミグレーションは大混雑だが、その大部分はブラジル人で外国のパスポート保持者は少数派。しかも結構列の進行が早い。ビザ取得で大方の情報は提供しているので特に質問を受けることなく通れた。荷物を回収し税関でまたしても行列に参加。節操のない並び方をしているが、ここも列がみるみるうちに進む。30時間以上に及ぶ長旅はようやく終了。
今回の滞在はいつもの自由気ままな一人旅から一転、現地に住んで30年以上の伯母さんとほぼブラジル生まれブラジル育ちの従姉妹のガイドで過ごすことになる。すぐに合流できて一路サンパウロ市内へ向かう。もちろんサンパウロ名物の大渋滞がお出迎え。ここ数年新車購入振興政策を行っているらしく想像していたより走っている車がみな新しいが、それが走る道路はまさに修羅場。渋滞に加えて驚かされるのは信号待ち。辻強盗こそいなかったが、物売りが隙間を縫うように営業。さらにその隙間をバイクがクラクションとともに駆け抜けていく。車線変更も一筋縄ではいかない。渋滞をかき分け今回の拠点となる伯母一家の住むアパートに到着。高台にある住宅街でのどかな雰囲気だが、これでも夜は一人歩きは避けた方が無難なのだそうだ。この国に30年以上いる大先輩の言うことなのだから間違いない。
荷物を解いてシャワーを浴びたあとは昼食。ブラジル料理の代表格、フェジョアーダを早速いただく。ブラジルでは水曜、土曜は「フェイジョアーダを食べる日」なのだそうだ。「日本人がなじめない料理」で有名らしいが、中身は塩漬けの肉、豚耳、豚足、タン、腸詰とものの見事に大好物のオンパレード。一口食べてすっかりはまってしまったが、そのボリュームはUKのフル・ブレックファーストをゆうに上回る。これとライスとタロイモの粉、マンジョーカを混ぜ合わせて食べるのだから腹持ちも群を抜くよさ。「胃薬が必携ですよ」と事前に言われていたがそのとおり。いつものようにかばんの中に忍ばせている仁丹をいつもより多めに口に中に放り込む。
一休みしてからはパウリスタ博物館とイブラプエラ公園を案内してもらう。国土の広いブラジルらしくこういった場所も並外れたスケールを持っている。今日を乗り越えれば時差ボケは解消できるので体を疲れさせるように仕向けたいし、昼間のフェジョアーダを何とか消化しなければならない。サマータイムに入って8時ごろまで明るい中を歩き続ける。
そして晩飯は地球の裏側の寿司。店内は寿司酢の香りがするれっきとしたすし屋だがよくよく見ると中国式の装飾で、これは色々な意味でかなり期待大。日本以外のどの国も大抵そうなのだが多くの寿司屋は華僑がやっている場合がほとんど。日本の回転寿司で身につけた技術で世界に進出しているそうだ。その国の嗜好にあった寿司に進化していくのは当然だが、中でもブラジル人はサーモンが大好きなようで出てきた寿司は見事なまでのサーモン尽くし。やっぱり脂の乗った魚がお好みのようだ。中には(寿司を)パン粉につけて揚げたものや、(寿司を)天ぷらにしてクリームチーズをのせた物、マンゴーやビーツを巻いたものなど、かなりロックな寿司もあって大変楽しませてもらったが、さすがにここで眠気が完全にピークに。10時ごろに帰ってすぐにベッドへ。おかげで時差ボケは完全に解消できた。
10月28日(木)
朝の7時ごろには目を覚ますが、午前中は別段外に出ることもなく行動開始はお昼近くになって。第一、午前中は通勤の車で道路は大渋滞だからろくに行きたいところにも行けないのだそうだ。
今日はのっけからいきなりシュラスカリアとメインイベントから始まった。フェジョアーダと並びブラジル名物であるシュラスコはなんといっても10種類以上ある肉が食べ放題というのが魅力的である。同じく食べ放題のサラダで軽く腹を慣らしてからいざ肉とのバトルが始まった。テーブルの周りを肉を持ったギャルソンが常にウロウロしていて肉を勧めてくる。食べたい肉がきたら切ってもらうという大変シンプルなもの。しかも肉はどれも脂肪の少ない赤身で量も食べられてしまう。牛肉がメインだったがラム肉、豚肉、鶏肉も充実、特に鶏のハツは馴染み深いこともあって特に気に入った。
肉のお供はブラジルの蒸留酒ピンガを使ったカクテル、カイペリーニャ。肉料理によく合う口当たりでアルコールが強いにもかかわらずグイグイ飲めてしまう。まさに「酒池肉林」の境地、心行くまで楽しむことができた。
←シュラスコを切ってもらう。結構厚切り。
十分すぎるほどの腹ごしらえも済んだあとは、どうしてもサンパウロで行きたかった場所へ連れて行ってもらう。市内はずれのモルンビー墓地。ここには誰あろうアイルトン・セナが眠っている。地元の人に言わせてみればあれだけの人気と尊敬を集めたにもかかわらず徐々に過去の人になりつつあるらしい。墓参りに行きたいなんていうのは日本人くらいなものなのだそうだ。確かに「セナが死んだ後に生まれたF1ファン」も珍しくなくなったし、現役のF1ドライバーでもハミルトンやベッテルなんかは「セナを見て育った」世代だ。
自分も日本のF1バブルの時代を知っている身なのでもちろん特別な存在。ある意味今日までF1ファンをやっている、その入り口を作ってくれたドライバーだから無視して通ることはできない。お墓は正門通ってすぐのひときわ目立つ丘のほぼ中心、墓石のような大仰なものは無く埋葬されたところに墓碑があるのみ。国葬で送られた割には実にシンプルなお墓だ。そもそも突然の事故死だったから「お墓をどこにするか」を決めるところからだったのだそうだ。で、結局高級新興住宅地で新しくできたばかりのココが選ばれたというわけ。
荒らされないように軽くロープで張られた墓前に花を供える。敬虔なカトリックだったセナに対して日本式の手を合わせるお参りの仕方でよかったのか分からないが、あれだけ日本人に愛されたのだからまあ、いいか。
↑緑豊かなモルンビーの丘にセナは眠っています。いつ行っても花は絶えないそうです。
帰り道、車窓から見えるもの全て珍しいので同じ地区にあるサッカー場、モルンビースタジアムでもいったん車を降りる。地元のサンパウロFCのホームグラウンドでなかなかの大きさ。スタジアムツアーが毎日行われているのだが今日はすでに終了。しかし、従妹が「この人はるばる日本から来たんです」というと「じゃあ、観客席やピッチは無理だけど軽く見ていきなよ」とタダで入れさせてくれた。恐るべし、ラテン気質。一人だったら間違いなくこんなことはできないな。見ることができたのはほんの少しだけだったがとりあえずここが観客で埋まっているところ想像して後にした。
間髪いれずに今度はサンパウロ大学へ。ここの医学部は毒蛇研究の権威でもあって毒蛇に関する資料館もある。さすがはアマゾン川と広大なジャングルを擁す国だ。残念ながらここももう閉まっていたが、その傍らには終日オープン(と言うより野外)の蛇園(蛇しかいない動物園ですね)があって無数の蛇がとぐろを巻いている。中にはお食事中の蛇も。香港であれだけウマイウマイと言いながら食べていたのにいざ本物を目にするとひるんでしまう。
キャンパス自体も広く別段遠回りしたわけでもないのに30分近く走ったような気がする。何でもキャンパス全体がひとつの市で、ちゃんと市長もいるとのこと。うちの出身校である東海大学もだいぶ広いと思っていたがスケールが違い過ぎる。この辺もさすが、ブラジル。
ここに来て昼間飲んだカイペリーニャが効いてきた。どうやらピンガはジワジワと酔いが回ってくるものらしい。日が暮れる頃帰ってきてから、晩飯は「シュラスカリアに行った日の夜はやっぱりこれ」と言われそうめんに。地球の裏側とはいえ結構何でも揃うようだ。ブラジルには日系人が多いから日本から輸入されたり現地法人で作られる日本のブランド商品のほかに初期に移住してきた日系人が日本食恋しさのあまり現地で興したメーカーもたくさんあって独自の日本食へと進化している。こちらにとっても結構カルチャーショックは多いが、ブラジル生まれ、ブラジル育ちの従姉妹にも江戸っ子特有の「つゆに少しだけつけて一気にすする」食べ方なんかは奇妙に写るようだ。やっぱり今日も満腹を通り越した状態で終了。仁丹がみるみる減っていく。
10月29日(金)
サマータイムに入ったばかりのサンパウロだが夜明けも結構早い。24時間運行のグアルーリョス空港を発着する飛行機の音もありなんだかんだで早く起きてしまう。今日は遠出をするというのでまずはやっぱり腹ごしらえ。パウリスタ大通りの脇にあるビジネスマンでにぎわう食堂で昼食。ブラジルのこの手の食堂で面白いのがビュッフェ形式でとった料理を重さによって料金を払うということ。食べ放題のような感じだが、そんなに量を食べられない人も損をしない料金体系だ。ここでも相変わらずシュラスコがあったが、ここはバカリャウ(干鱈)の料理がうまいというのでそれも含めていろいろ少しずつ試すことにする。結果やっぱり腹いっぱいになってしまった。
なったところで向かったところは車で1時間ほどのサンホッケ(San Roque。ポルトガル語では”R”はハ行)という町(村?)。なんでも伯母夫婦がブラジルに最初に来たとき、住んでいたのがここなのだそうだ。小ぢんまりとした町を外れると後はひたすら大自然。この地に住む日系人の長老のような人に会い、1時間ほど話をする。割とこれがメインだったのだがあくまでパーソナルなことなのでここでは割愛。
その後は地元の収穫祭に顔を出す。ここはイタリア移民も多くぶどうを栽培して、半ば自家醸造のような感じでワインを作っているのだという。ゆえに使っているブドウもピノ・ノワールとかカベルネ・ソーヴィニオンとかのメジャーなものではなくいわゆる土着品種のものばかり。試飲もさせてもらったがどれも素朴で丁寧な手作り感あふれるワインだ。熟成させるというよりは、新鮮なうちに飲んでしまいたいタイプで気に入った白ワインをおみやげに1本買っていく。
ほかにもここはアルカショフラ(アーティチョークのこと)も名物らしい。ワイン一辺倒の収穫祭だと酔っ払いが多発してしまい問題が絶えないそうで形式上はアルカショフラがメインなのだという。地味なのに重責を背負わされてしまってアルカショフラも大変だ。曰く「食べるのは面倒くさいけどおいしい」らしい、その真偽のほどはのちのち知ることになる。
サンパウロに着いたのは陽もドップリとくれた夜の9時ごろ。地元の人には人気だが、なんだか怪しいアラブ風(正式にはレバノン)料理を晩飯に食べて帰る。
10月30日(土)
今日はいつもより早く行動開始。というのもサンパウロの市営市場に連れて行ってもらうのだ。たいていの都市や町に行くとその土地の普段の食べ物を探るために必ず市場に顔を出すようにしている。が、ことここに関しては周辺の治安があまりよろしくないらしい。いつもより少々気を引き締めていざ潜入。
↑土曜日と言うこともあり、大盛況の市営市場。調味料も果物もとにかくカラフルで、見ているだけでも楽しめます。
しかし、中に入ってしまえば皆さん陽気そのもの。果物屋に寄ってちょっとでも食いつけばあれもこれもと試食の嵐。チーズの店に行っても、ハムやソーセージの店に行ってもやっぱり試食の嵐。変な話、試食だけで腹いっぱいになれるほど。それでも上の階の食堂は大盛況。薄切りのハムが電話帳並みの厚さに重ねられたモルタデラのサンドイッチは持ち帰りにしてここではもうひとつ名物らしい、バカリャオのパスティを食べる、バカリャオはブラジル人のソウルフードのようなものなのか市場でもよく見たし、とにかくよく食べる。日本人で言うところの塩鮭のようなものなのかもしれない。このパスティもなかなかうまかったが、一緒に頼んだエビのパスティのほうがよりうまかった。やっぱり日本人はえびが大好きだなぁ。
市場を後にするころ急に雨が降り出してあっという間に本降りになったのでいったん引き返し、休憩を挟んで今度はリベルダージへ。なんといってもここは世界でも他にはロサンゼルスにしかない日本人街、提灯を模した街灯が立ち並び、通りの真ん中には中華街の門よろしく鳥居が鎮座し、ひらがなカタカナがわりと当たり前に書かれている。
通りを歩く前にまずは日系移民博物館を見学。飛行機も無い時代に船で何ヶ月もかけて地球の裏側まで赴いて、ひたすらに働いた人たちには尊敬の念しか出てこない。
歴史のお勉強をしてから改めてリベルダージを歩く。店先に書かれた少し?な日本語もこの歴史を考えれば許せてしまう。鳥居も提灯もみんな恋しかったんだろうなぁ。日本食材の店もちゃんとあった。入ってみるといきなり入り口に日本米が売っている。よく見ると現地の米のほかに新潟産のコシヒカリがある。さらに進むと煎餅やポッキーなどの日本のお菓子。ブラジルのスイーツは物によっては頭が痛くなるほど甘いものも多く、日本の甘すぎない、もしくは甘辛いお菓子は好評のようだ。カップラーメンも豆腐も塩辛もあってことサンパウロに関して言えば日本食には問題なさそうだ。
(左)リベルダージにある日本風の建物。ガイドブックにもよく載っているますが、実は銀行です。
(右)お土産屋では観賞用なのか、日本刀が普通に売っていました。修学旅行みたい。日本への持込はできません。
夕方には戻って朝に買ったモルタデラを食べる、思ったよりは軽くハムの味がうまいので結構サクサクと食べられるのだが、食べた後はやっぱり腹いっぱい。結局その日の晩飯はほとんど食べられませんでした。ここに来て仁丹も全部使い切ってしまった。
10月31日(日)
昨晩はさすがに胃袋の限界を超えてしまったのでブラジルで売っている胃腸薬を飲んでから寝たら、コイツが結構やるもんで朝起きたら腹の虫がなるほどに消化完了。胃腸薬は「自分に合ったもの」ではなく「その土地のもの」の方が効き目がいいということが良く分かった。
この日は最終日なのでお土産探しを含めてパウリスタ大通りへ繰り出す。本来なら日曜日のこの通りはたくさんの露天商が出るらしいのだが、今日は大統領選挙の決選投票があったのでそれもほとんどなし、やや閑散としている。訊くとブラジルでは投票は「義務」なので全員投票に行かなくてはいけない。そのうえ結構罰も重いようで仕事どころではないらしい。しかし、それはなくても都市の目抜き通りを肩で風を切りながら歩くのは気持ちがいい。この辺は新興地区で銀行、メディア、外資系企業などの本社が軒を連ねている。いろいろ案内をしてもらいつつ、ようやくカメラをおおっぴらに出して撮影できた。
その後は今日の晩御飯の買い物をするというのでスーパーに行った。サンパウロでもスーパーは都市型と郊外型に分かれていてそのうち郊外型となるとその広さは東京ドーム何個分という単位になってくる。いろんな国に行き、ことにオーストラリアでは曲がりなりにも自活していたから、だだっ広いスーパーには免疫があるつもりだったが、それをはるかに上回るサイズだ。まずドリンクはほぼバルク売り。一番大きいサイズは驚きの3.3リットル!しかもそれが山となって積まれている。野菜、特に頻繁に使うジャガイモ、にんにく、トマトはたたみ一畳分のくらいのスペースにぎっしりと敷き詰められている。肉のコーナーに行けばスライス肉なんてものは無く、全部かたまり、しかもそれとは別にフェジョアーダ用の干し肉や内臓などは別のコーナーがある。まあ、口や文章ではなかなか伝わらないが日本的感覚からすれば常軌を逸した広さということだけは分かっていただきたい。
↑とにかく広いブラジルのスーパー。買い物カートも特大サイズが当たり前。野菜も山盛り!!
この日の晩飯はイタリア移民の店のうまいピザと先日買ったアーティチョークと同じく市場で買った手打ちパスタにスーパーで買ったもろもろ。ピザもパスタもうまいが、それよりも気に入ったのがアーティチョーク。これがビールのつまみにいいんだ。とにかく食べすぎの毎日だけど旅先で誰かと一緒にご飯を食べるなんて今までほとんど無かったからこれだけでも実に楽しい5日間だった。
11月1日(月)
新しい大統領も決まり、サンパウロの町も再び通常営業に戻ったようだ。ちょっとした雲で国内便は欠航するらしいが青空が広がってその心配も無い。ロンドンへ戻る飛行機は午後の6時発だから昼飯食べてゆっくりしてからでも間に合いそうだ、この日の朝もリベルダージでお土産探しにいそしんでから荷造り。今回は日本から持ってくるお土産も多かったが、サンパウロを発つときは同じかそれ以上の量になってしまった。地球半周分の親戚づきあいというのもこれはこれで大変だ。この日も昼飯はイタリアン。手作りのパスタは無条件でうまいし、興味本位で頼んでもらったヤギ肉の煮込みもうまい。しかし、一番うまかったのがその付け合わせだったブロッコリーのガーリックオイル炒めだったのはここだけの話にしようか。
昼食後、空港に向かう道を少しのぞくと大渋滞になっていた。飛行機の時間に間に合わないとまた面倒なことになるので早めに出る。結局理由は分からないままだったけど何とか出発2時間前にはグアルーリョス空港に到着。思えば空港まで誰かに見送ってもらうのも何年ぶりだろう。
相変わらず慣れないブラジル式のあいさつでしばしのお別れ。さすがにこの距離だから次来れるのはいつになるか分からないけど、この国に行く理由はいつだってあるのだ。出発時刻は少し遅れてサマータイムで遅くなった夕日をバックにBAのジャンボは大西洋へと飛び立った。
~ロンドンの休日編、その2に続きます。~