IAN-Gの無謀旅日記
〜ヨーロッパ、ブラジル新婚旅行編-ブラジル〜

期間 2013年11月13日〜2013年11月21日
(行ってきた人、文、写真=IAN-G 同行者=かみさん)

↑パウリスタで日系人の新婦とカリオカの新郎が遠距離恋愛の末晴れて結婚。そんなストーリーがこの人形に詰まっています。


←パリ編へ戻る

11月13日(水)

BAのシートはヘッドレストがしっかりしていて寝る時の体勢に困らない。しかも後ろの誰もいなかったので気兼ねすることなく背もたれも倒すことができたのでおかげでよく眠れた。実に12時間のフライトのうち8時間も眠ってしまった。目が覚めてフライトマップを見てみるともう南米大陸の上。夜が明けて空が明るくなった頃グアルーリョス空港に着陸した。南半球のブラジルは暑く、太陽も高い。すっかり真冬の日本やヨーロッパから一気の夏のところへ来てしまった。イミグレーションはそこそこ早く通過。荷物はもう出ていたし、税関は前来た時の大行列は何だったのだろうというくらい簡単に素通りできてしまいこれでまずは最終目的地に到着した。さて、ここで今回はサンパウロ在住の伯父伯母が迎えに来てくれるはずなのだが、一行にその姿が見えない。最初は大方名物の渋滞にハマっているのではないかと気長に待っていたが流石に一時間も立ち焦り始めた時血相変えて走ってきてようやく合流できた。聴くと到着ゲートを間違えていたらしい。しかも空港の職員に便名を言って教えてもらったのに、まあつまり間違った情報を教えられたというわけだ。お決まりの大渋滞をかき分け家に到着。シャワーを浴びて旅の疲れを落とす。眠気は流石になかったが、昼に待ってましたとばかりにフェジョアーダを食べると一気に眠気が襲ってきた。おかげでそのあと車で市内を軽く回ってくれたのだがほとんど眠ってしまい。気がつくとかみさんが行きたいと言っていたスーパーの駐車場だった。目が覚めるほどの量の品物に目を丸くしながら人歩きして帰ると空は明るいがもう時計の針は8時近く。晩飯をみんなで食べてビールを飲んだらやっぱりまた眠くなってきたので明日以降のことを考えて今日は早めに寝ることにする。

あ、今日は写真一枚も撮ってないや。
11月14日(木)
生活のリズムというのはなかなか崩れないものだ。地球の裏側まで来て疲れて寝落ち同然で寝てしまっても6時間経つときっちり目が覚めてしまう。結局起きたのは7時。シャワーを浴びてリフレッシュしてから今朝はフェーラと呼ばれる朝市に連れて行ってもらう。サンパウロにはそれは立派な中央市場があり、そこは前回連れていってもらい周知の通り電話帳並みの厚さのモルタデラサンドを食べたのだが、今回連れて行ってもらったフェーラとはもっと規模の小さい地域密着型の朝市のようだ。市の両端にはパステルの屋台があり、それを挟むように八百屋、果物屋がひしめき合っている。広大な面積を持つブラジルは放っておいても植物がなる国。とにかく種類が豊富である。そして、どの店もやっぱりどんどん試食させてくれる。マンゴーにパパイヤ、アボカドを果物屋で、八百屋では酒のつまみに最高のアルカショフラを買い、パステルとヤシの実ジュースで遅い朝食をとる。こういう体験は地元民になれた感じがしてちょっとうれしい。

↑こういう青空市場のことを「フェーラ」と呼ぶらしいです。住んでいる近くにこういうのがあるといいよなぁ。

昼間はサンパウロの名物の一つである毒蛇研究所へ。前回は来たらもうしまっていて外にある蛇園だけを見ただけだったが、今度はちゃんとチケットを買って博物館にも入った。もちろん展示されているのはアマゾンを始めブラジル全土にいる毒蛇たち。しかし、蛇というものは動きが派手なわけでもないし、ジャングルに近い環境で展示をすると保護色になって実に見分けづらい。観察する前にまず蛇がちゃんといるのかどうかの確認から始めなければいけない。テンションの上がり方がイマイチな感は否めない。サンパウロ大学の広大な敷地内にあるから夏の日差しを浴びて散歩するには絶好のロケーションではある。 途中のショッピングセンターにて遅い昼飯。ブラジルにはブッフェ形式の食堂がたくさんあり目方で勘定をするという何ともワイルドな業態で市民の胃袋を満たしている。今サンパウロで流行りの寿司から煮込み料理、肉ももちろん揃っている。ついつい食べ過ぎてしまうがそれもまたよし。そのあとは本屋に寄ったり、リオデジャネイロで着る服を選んだりして過ごす。基本服のセンスがないので暗い色のものばかり着る傾向にあるのだが、せっかく最高峰のリゾート地に行くのだから少し弾けたものでもいいだろうと、スカイブルーのショートパンツと海に似合いそうなボーダーのTシャツ。これでビーチの主役は俺のものだ!
 渋滞をかき分けてパウリスタ大通りを車で見てまわったらいつの間にかもう夕暮れ。晩飯はもちろん朝買ったアルカショフラ。食べるのが面倒臭く実に酒が進む。それにアメリカ人も真っ青の具沢山のピザ。海外行くに連れピザは具を食べるものということを再認識させてくれる。今日はセルベージャではなくカイペリーニャを飲んだのですぐにいい気分になってしまいやっぱり早く寝てしまった。まあ、いいさ明日は早起きないといけないのだから。

11月15日(金)
朝6時半に起きる。日記を書く暇もなく、朝飯を食べたら早々に家を出る。今回の旅のメインイベントである従妹の結婚式のために、開催されるリオデジャネイロに向かわなければならない。サンパウロ市内にある国内線の空港であるコンゴニャス空港から飛行機に乗るのだ。着くと朝もはよから人だらけ。この空港の主要路線であるサンパウローリオデジャネイロ間は別名「ポンテ・アエーラス」と呼ばれ世界でも屈指の高頻度で航空便が運行されている。しかもこの週末ブラジルは3連休なのでとにかく人手が多い、多くの人がこの飛行機で一時間で行ける世界屈指のリゾート都市へ行こうとあふれかえっている。

↑TAM航空のA320。ありがたくマイルは頂戴いたしました。ANAのマイル獲得履歴に見慣れぬ"JJ"の2レターコードが。

 チェックインなどの細かいことは従姉が全部やってくれたし、日記でも書きながら搭乗時間を待つ。ビルの谷間にあるこの空港はB737とA320クラスの旅客機しか離着陸できないほどランウェイが短く、当然ボーディングブリッジなどという施設なんてないから沖止めにタラップの機体までバスで行かなければならない。過去には市街地に飛行機が墜落した、なんて事例もあるようだが、その辺のことはまあ忘れてしまおう。ブラジルの事実上のフラッグキャリアであるTAM航空のA320に乗り込むと軽快に離陸。上昇しきって、ドリンクのサービスが一通り終わると機体はもう高度を下げ始めた。たった一時間の旅はあっという間に終わり、リオデジャネイロの玄関、ガレオン空港に着陸した。こちらは国際空港でもあり、ボーディングブリッジから降りる。国内線だからイミグレーションも税関もなし。荷物だけ受け取っていざ市内へ。しかし最初にも言ったとおり今日からブラジルは3連休。とにかく市内へと向かうタクシーが遅々として進まない。助手席に座ったのだが隣の運転手のアンチャンのイラつきがこちらまで伝わってくる。遅い車と信号を無視する歩行者をかき分けるまるでクレイジータクシーをリアルにしたような運転を体感して何とか宿までついた。
 リオでの宿はあの有名なコパカバーナ海岸の1番突端にある五つ星ホテルの名高きソフィテル・リオデジャネイロで結婚式場となるリオデジャネイロの海軍サロンとは目と鼻の先だ。ここでも従姉がチェックインをやってくれるのでかみさんと伯母さんとロビーで話をしながら待っていたのだが、何だか五つ星ホテルらしからぬトラブルが多かったのか待てど暮らせど部屋が決まらない。結局まだ部屋に入れないとの結論に達し腹も減ったので一行でコパカバーナ要塞の中にあるカフェで昼飯。軽めにパスタでいいか、でも少しは腹に溜まるものがいいな、とゴルゴンゾーラソースのパスタを頼んだが、これが結構な量で結局腹一杯に。カフェの飯の量じゃないだろう。腹ごなしのために要塞の中を歩く。砲台の内部も見られる上にその砲台の上にも登れてしまう。その先はどこまでも続く大西洋。思えばずいぶん遠くへきたものだ。

↑要塞といっても今は立派な観光地。すっかりリゾート気分です。突端から望む大西洋は壮観。

ここを見終え再び宿へ戻る。今度こそスムーズに部屋に入れるだろうと思っていたのだが、こんどはレセプションの係りが変わっていて引き継ぎがうまくできていなかったらしくまたしても待たされる。これは大失態だよなぁ。しかし通された部屋は豪華そのもの。従姉は弁護士なのでこういうときにいい条件を引き出すのはお手の物なのだ。窓の外からはホテルのプールとその先のコパカバーナが一望できる。ひと時ゆっくりしたらもう日没。
←宿の窓からコパカバーナをパチリ。

 この日の晩飯は待ってましたのシュラスコ。ここから合流した三人兄弟の真ん中の従弟が日系企業(近頃UKに電車を納めた例の会社です)に勤めていた時に日本からくるお客さんを連れて行ったという評判のいいシュラスカリアとのこと(確かここ→www.porcao.com.br)。ここで貪るように肉をかっくらっていると今回結婚する従妹のダンナとその家族もやってきた。ポルトガルにルーツをもつカリオカで本人も両親も英語が話せるというので自分もその輪の中に入る。こういう時英語をスラスラと口から出すには酒は欠かせない。大好物のカイペリーニャをお供に話が進む。久しぶりに思う存分英語も使えたし、楽しい夜となった。宿に戻ったのは12時過ぎ。カイペリーニャが徐々にきいてきて。リオでの夢のような最初の夜は更けて行った。

11月16日(土)
 今日は結婚式当日。しかし、式自体は夜の7時からなのでまだまだ余裕はある。それでも朝の7時は起きて外に出る。リオに来たからには行かなければならない世界の観光地がある。コルコバードの丘に立つキリスト像を見に行くのだ。細く険しい山道を登って行くために登山電車かミニバスだけと入場が制限されている。バスの方が近くに行ってくれるのだが、連休の影響で大混雑が予想されるので朝一番で登ろうというわけだ。バスは狭い山道を異様に頼もしくぐんぐん進んで行く。どんどん下界がちいさくなり、高所恐怖症の人だったら卒倒してしまいそうなレベルまで登って行く。コルコバードは丘だからそれほど高くないとたかをくくっていたが、これは立派な山である。自分もあまり高いところは好きではないので真下は間違っても見られない。なるべく遠くを見て心を落ち着かせる。開放感抜群の階段を上って丘の頂上まで来ると360度の絶景がお出迎え。特にキリスト像が正面を向いている海側は天界からの風景のようだ。まあ、とにかく人は多いのでゆっくり見るなんてことはできなかったが、リオでやるべきことは一つクリアした。

↑このキリスト像、2014年はテレビで何度目にしたことか。しかし、この絶景だけは実際に行かないと分からない。

 下界に降りて早めの昼飯を食べて午後。女性陣はこれから結婚式に向けてドレスアップをするために宿へこもらなければならない。美容師さんを部屋に呼んで髪型からメイクからネイルまでとにかく綺麗にするのだ。そのために我々一行、一部屋はスイートである。一方男性陣は直前にスーツに着替えればいいだけだからまだ時間があるので、自分の希望でセントロと呼ばれる市内の中心部に連れて行ってもらった。コパカバーナのような世界に誇るリゾート地もあるリオだが、セントロはそれに比べると恐ろしく庶民的である。ブラジル最大のファベーラを抱えていることもあり治安もそれほどは良くないらしいここではリオで最も古いカフェでコーヒーを飲んで後は町歩き。ビルの谷間に古い教会が残っているが保存運動に躍起になっているヨーロッパに比べると朽ちるに任せているようだ。場所によってはスプレーの落書きも散見できる。どうやらビーチ以外はあまり見せたくない場所というのがこの街には多いようだ。

↑この辺が「セントロ」と呼ばれている地区。何に使うのか分からないけど撮影にも遭遇しました。

 歩き終えて行ったん宿に戻るのだがその前にタクシーでイパネマ海岸の方を流してもらう。人の数はコパカバーナと大差ないがこちらのビーチ沿いはコンドミニアムが多く少し落ち着いた雰囲気である、ほんの少しだけど。4時ごろには宿に戻ってこれからの長丁場のために少し休憩してから、はるばる日本からこのために持ってきたスーツに着替えていざ結婚式へ。ホテルのロビーで女性陣と待ち合わせ。みなアイシャドー特盛りのメイクでやって来た。かみさんいわく「美容師さんも日本人のメイクだからいろいろ勉強してきた」そうで、それでも「何も言わなかったらもっとドギツいメイクになっていた」ですって。

(左)ここが結婚式の会場となった海軍サロン。一応軍事施設だから一般人が使えるのは一番上の階だけ。
(右)パーティー会場のカイペリーニャバー。定番のレモンだけでなくイチゴ、パイナップル、マラクジャでも作ってくれます。

↑引き出物は日系人らしく箸。包装および水引はすべて伯父さん手作りです。

 今回はただの参列だけではなくパドリーニョという結婚式の立会人、そして結婚の証人になるという大役を仰せつかってしまった。一体どうなることやらまるでわからないまま式本番。入場するときにかかる音楽は生演奏だ。新郎新婦が登場し、神父、ではなく裁判官のお説教(ポルトガル語なのでまったく分からず)へと続き、新郎新婦誓いの言葉のあと震える手で婚姻届の証人欄にサインをしてまずはひと仕事終了。そのあとの新郎新婦とパドリーニョだけでの写真撮影までは緊張しっぱなしであった。
 ようやく任を解かれあとは会食。基本カップルでの参列になるため参列者が300人近くなる式なので料理もウェイターが小皿料理を持ってテーブルを回るシステム。結婚式を行ったフロアはダンスホールに早変わり。そんな中でとりあえずカイペリーニャを飲みながら過ごす。さっきの緊張が続いているのか酒は飲んでものんでも回らない。一方でダンスホールから聞こえるDJミックスの重低音に胃がやられる一方である。かように過酷な状況をなんとか乗り越え5時間以上に渡ったパーティーは終了。宿に帰ったらもう2時過ぎ。ベッドに倒れこむようにして眠りについた。

11月17日(日)
 昨日は緊張していたのと夜も遅かったのですっかり眠りこけてしまったが、今日は宿をチェックアウトしなければいけないので少し無理して9時に起きる。これでも昨日の疲れはちっとも抜けていない。窓の外を見るとプールの水面が雨で揺れている。昨日とは打って変わっての寒空であれほど青かったコパカバーナの海もどんよりとした灰色をしている。ビーチにも人っ子一人いない。幸い一旦雨は止んで要塞のカフェなんかは優雅に朝食を楽しむ人たちで満席だった。聞くと一時間待ちらしい。仕方なしに朝飯はパスして宿をチェックアウトしてからブランチにする。ポルトガル風の飯屋でブランチだというのにいきなり肉の波状攻撃だ。少々眠いが肉にはやっぱり酒しかないのでビールを飲んだらかなりの睡魔に襲われる。今回の旅は飲むとすぐに眠くなる。飯を食い終えてお土産やをめぐる頃になると再び雨が降り始めた。今度は大粒の雨である。入っていたお土産やもこの雨では商売にならないと踏んだのかそそくさと店じまいを始めた。

↑ええ、リオだって雨ぐらい降ります。

我々一行もこの雨の中では何もできないので予定より早めに空港へ向かうことにする。陸路でリオに来た人たちはもうさっさと脱出したはずだが時間通りに動く飛行機では時間が重なるので大渋滞が予想される。この国では空港へは早めに行くに越したことはないのだ。雨の中タクシは比較的順調に走っていく。いつどこで渋滞にはまるかと思っていたら特にスピードが遅くなる間も無く気づくともうガレオン空港に。まあ、たまには順調に行くこともあるようだ。あまりに早く着いてしまったので空港のショップを周り、晩飯も時間をかけて食べてようやく搭乗時間に。行きと同じTAMのA320の最後尾だ。座ったと同時に眠ってしまい気づいた時にはもうサンパウロ上空。行きとは違いグアルーリョスに着陸した。

11月18日(月)
緊張と雨で疲れに疲れたのでぐっすり寝てもまだ眠い。明日以降も忙しいので今日はほとんど何もやらずに過ごすことにする。午前中は家にずっといて、昼飯にだけ近所まで出かけ、毎度おなじみのビュッフェスタイルのランチを食べる。肉とご飯とフェジョンという豆の煮込みの基本セットは言うまでもないが野菜も少し食べないと不健康まっしぐらだ。この国はあまりサラダを食べないのか葉っぱの類が少なかったが、ここでは山と盛られたクレソンを発見!葉が大きく茎も歯ごたえがある。花が付いていても気にしないのはご愛嬌。オリーブオイルとバルサミコ酢だけのシンプルな味付けてモリモリ食べる。思えば今回の旅行で初めてまともに野菜を食べた気がする。その話を伯母さんにしたら「そんなことならフェーラで買っておけばよかった」とのこと。日本人には馴染みの薄い食材と思っていたらしい。ブラジルの日系人の間ではすき焼きをやる時、手に入らない春菊の代わりにクレソンを使うのだという。これはこれでなかなかうまそうだ。 昼飯の後かみさんが従妹のウェディングドレスを返しに行くのに出かけたところ見事に車酔いして帰ってきたので出かけるのはもう少し遅くなってから。少しぐったりしていがさすが本職が鍼灸師だけあって自分で乗り物酔いに聞くツボに針を打って回復していた。元気になったところで今日はまずリベルダーヂへ。

↑リベルダーヂの信号機はランプが鳥居。ちなみにちょうちんバージョンもありました。

↑なんとサンパウロにもバイクシェアリングが!でも盗まれないか人ごとながら心配してしまいます

以前と変わらずここではアジア人が違和感なく溶け込んでいる。最近は中国や韓国人が進出していて、日本人街という雰囲気は薄れつつあるが、それでも信号機は鳥居や提灯の形のシグナルになっていて観光地として生き残りに必死のようである。この辺の店は大方日本語OK、クレジットカードもJCBが使えるなど日本人に優しい。ここでかみさんは薬屋でプロポリス入りの石けんなどをお土産で買っていた。薬は体にあったものを、ということなのだろうか、日本の薬も売っている。日本でもめったに見なくなった(自分に縁が無いだけかもしれないが)宇津救命丸や樋屋奇応丸まで健在である。日本食もここなら納豆だって豆腐だって梅干しだって手に入る。そういえば最近ではすき家もできたそうである。
←リベルダーヂにはコイツもいました。もう一度言います。撮ったのはリベルダーヂです。

 晩飯は自分の希望で寿司屋へ。正確にはブラジル来て肉ばっかりだったから魚が食べたい、というわけである。今回も純然たる日本式の寿司屋ではなくブラジル流にアレンジされたところである(ここへ行きました→www.restauranteaoyama.com.br)。だから当然海苔巻きの天ぷらもあるし、クリームチーズの裏巻きもある。しかも全メニュー食べ放題なのだ。自分は酒飲みだし腹にあまりたまらないように刺身をメインに食って行ったが。ここでも飲んだら速攻で眠くなってしまった。こんなにあくびを噛み殺しながら食べる寿司も珍しい。魚と米の飯をたらふく食べて今日はおしまい。

11月19日(火)
今朝も慌ただしく朝飯を食べてから出かける。今日の目的地はブラジルが誇るイグアスの滝。アマゾン流域にあるわけでなく、実際はブラジル、アルゼンチン、パラグアイ三国の国境にまたがる大瀑布である。サンパウロからはリオと同じくらいの時間でいけるということで伯母さん曰く「サンパウロに来たらイグアスいかないと損」だそうだ。最低でも一泊はしないと楽しめないところだから前回は日にちが少なかったから行けなかったのだ。今回の出発地は国内線だがグアルーリョス空港から、朝の渋滞の時間と重なったので市内中心部を出るのに少し時間がかかったが比較的順調に到着。チェックインはすでにネットですませたし、預ける荷物もないので時間には余裕がある。こういう時にはじゃあコーヒーでも、ということになるのだが、何と近くにあるコーヒー屋がスターバックスしかない。何もコーヒーの国ブラジルまで来てスタバもなぁ。とも思ったが、日本でも入ることなんてないし、まあいいかとコーヒーフラペチーノを飲む。おお、冷たいコーヒーなんてずいぶん久しぶりだな。
 今回乗るのはTAMと並ぶブラジルのメジャーキャリアであるGOL航空。機体は多分今回が初めてかもしれないB737-800。優雅に折れ曲がったブレンデッドウイングレットが美しい。ここでも飛行機は沖止め。いや、本当ならボーディングブリッジから行くはずだったのだが、直前にゲートが変更になり沖止めに回されたのだ。3-3アブレストの真ん中とかなり辛い状況ではあるが一時間ちょいのフライトだし、隣にかみさんもいるから大丈夫だろう。至って軽快に離陸した

(左)グアルーリョス空港にて。こういう写真が撮れるのは沖止めだからこそ。
(右)イグアスの滝上空。奥の方がお目当ての滝。


着陸寸前になると飛行機の窓からも目的のイグアスの滝が見える。想像を絶するスケールで期待は嫌が応にも高まる。ジャングルの真っ只中にあるようなフォス・ド・イグアス空港に着陸。ターミナルの前に無造作に斜め止めだ。ここから今日の宿まではお迎えの車が来てくれている。"Hotel das Cataratas"、イグアス国立公園の中にある唯一のホテルでオリエント急行のグループなのだそうだ。かつては貴族だったか大富豪だったかの別荘だった建物で、風通しのいいオープンな雰囲気。調度品も年季の入ったものばかり。英語、ポルトガル語、スペイン語が話せるスタッフの対応もブラジルらしからぬほどキビキビしている。通された部屋もとっても豪華。ひととき自分がジャングルの真ん中にいることを忘れさせてくれる。昼飯を食べてから今日はサファリツアー。川まで車と徒歩で向かい、しかるのちにボートに乗って滝壺まで行くというものである。とにかく濡れるという言葉だけでは足りない位ということなので、水着を着る人、ウェットスーツを着る人様々である。カメラも近くまでは何とか撮れるのだが、滝壺まで来るとカメラの生命に関わってくる。ビニール袋で厳重にガードしていざ出陣。最初は順調に進んでいたが、徐々に急旋回など水しぶきが増え始める。そして、滝壺。もう水煙やら水流やら水しぶきやらで前もろくに見えない。まさにひょうきんベストテンの世界だ。完璧な濡れ鼠になって滝から出てきても水の攻撃はまだまだ続く。ボートが高い波を捉え船を水浸しにして行くのだ。しかし、最後は風に吹かれながら岸まで帰るので結構服も髪も乾くのだ。なんだか洗濯されたような感覚である。ここに行く人がいたら滝に入る前に洗濯洗剤を体にふりかけておくといいかもしれない。

↑余裕を持ってカメラを構えられるのはこの辺まで。まあ、ファインダー越しではなくこの目で見ろ、ということです。

 ヘトヘトになって宿に戻ってシャワーを浴びてから晩飯に。リゾート地だけあってレストランも充実しているが今回選んでくれたのはサンバショーがセットになったシュラスカリア。例によって食べ放題である。いつもの通りサラダもそこそこに肉とサシで対峙する。リゾートまで来て肉にビールでもあれなのでパリに着いた初日以来のワインを飲む。ブラジル産のカベルネのワインだ。2013年だからできたての新酒である。渋みよりも果実味の多いワインで、肉にもチーズにも、このままでも飲めてしまう。すっかりいい気分になったところでショーのスタート。サンバショーではあるが、メキシコのマリアッチにアルゼンチンのタンゴなどなど南米の伝統芸能がみちみちに詰まった内容だ。ブラジル発祥のカポエラの演武もあった。そして大トリはもちろんリオスタイルのサンバ。とにかく踊っているオネーチャンのスタイルのいいこと、ムーランルージュとは違うお色気が漂っている。目も耳も腹も大満足してレストランを出ると大雨。街灯も何もない真っ暗な道を稲妻が明るく照らす中、宿に戻って何の音もしない静寂の中で眠りについた

↑ショーが始まった瞬間、外では雷鳴とともに空が一瞬明るく。大自然の中で楽しむショーというのもオツなもんです。

11月20日(水)
 朝7時には目が覚める。朝飯はプールサイドで。ハムもベーコンもあるし、卵は注文に応じてその場で焼いてくれるので自分のようなイングリッシュブレックファースト派にも嬉しいし、マンゴー、パパイヤ、マラクジャなどトロピカルフルーツも充実、ジャムも蜂蜜も自然の物等々質の高さを説明していたらきりがないが一番のサプライズとして氷のたっぷり入ったワインクーラーにスパークリングワインが刺さっている。こんな朝食ビュッフェ初めてだ、シャンパーニュではないが朝からシャンパン、略して朝シャンとはしゃぐ。チェックアウトまではまだ時間があるのでかみさんと二人で宿の前から滝周辺のトレッキングコースを歩くことにする。まだ国立公園に入場できる時間ではないのでこの時間にいるのは我々が泊まっている宿にいる人だけだから人はまばらだし、ちょうど自分たちの前を掃除のあんちゃんがゴミを吹き飛ばしてくれて道も綺麗だ。早起きは三文の得とはよく言ったもんだ。しばらく歩くとこのコース最大の名所である悪魔の喉笛に到着した。

↑この日は薄曇りでしたが多分晴れていても水煙でこんなんなんでしょうか?

 2段階になっている滝のちょうど真ん中に歩道が作られていて、落ちてくる水煙で周囲がもうもうとしている。ここはまさに自然の脅威と恩恵を肌で感じることができる。マイナスイオンがバンバン出ているようで、割とそこそこで切り上げる自分をよそにかみさんはこの場所が多いに気に入ったようだ。この間ここには我々二人だけ。実に贅沢だ。
 結局ここでもびしょ濡れになって宿に戻る。自分の来た道を振り返ると悪魔の喉笛に傘だけで乗り込むおっさんやもう諦めがついたのか丸腰で行くあんちゃんもいた。そのあとはもう観光客が大挙してきていた。早めに行ってよかった。
 宿に戻って、チェックアウトをして、昼飯を食べてから空港へ。2時にはサンパウロに戻るのだ。かなりの強行軍である。明日のロンドン行きの便を含めると3日連続で飛行機に乗ることになる。ここまで元気だったかみさんも流石にここに来て疲れが出てきたようだ。帰りのGOL航空は通路側だったので疲れることもなく行きと同じグアルーリョスに着いた。ああ、明日もまたここにいるんだよなぁ。帰りのタクシーはいつものサンパウロの大渋滞が嘘のようにノンストップで家までついた。今日はサンパウロ州は奴隷解放記念日とやらで休みなのだそうだ。昼間はデモがあって交通そのものがストップしていたようだがそれも終わってパウリスタ大通りなんかはしんと静まり返っている。帰って休憩。お土産もいっぱいもらいパッキングをして、明日の飛行機のチェックインを済ませてから晩飯。

↑今回は撮ってなかったので前回行ったときのを。これで取り分けたものです、一人前にあらず。このブロッコリーが、うまいんです。

 前回イタリアンで食べたラムの煮込みとその付け合わせのブロッコリーのペペロンチーノがうまかったという話になりそこに決定。パウリスタ大通りの近くなので渋滞に巻きこまれることもなく、休みの日のオフィス街の店ということでそれほどの混雑もなくゆっくりと飯が食えた。相変わらずブロッコリーのペペロンチーノがうまかった。が、とにかく量が多すぎる。残っても包んでくれるが、半分以上も残してしまうのは日本人的には失礼と感じてしまう。しかし、現に食い切れない量なのだから仕方が無い。消化剤が入る隙間もない状態で帰り着き、サンパウロ最後の夜を超すべくねむりについた。かみさんの調子がいまいち戻らないのが気がかりだが。

11月21日(木)
今朝は特に何もやることもないので少しゆっくりに起きる。が、かみさんの調子はやはり思わしくない。朝飯は食うには食ったが少ししか食べられず、出発まで横にさせておく。かみさんはおばさんが看てくれるというので自分たちは当初の予定通りに昼飯を食べに出る。サンパウロの北に位置するミナスの料理だ。そしてミナスの名物料理はなにかというとそれはフェジョアーダなのだ。ビュッフェスタイルの飯屋だと伝統にのっとって水曜と土曜にしかフェジョアーダは出ないが、ここはいつでも食べられる。ブラジルを発つ前にブラジルらしいものを食べるといったらやっぱりこれしかない。豚耳や皮が柔らかく、あばらの肉も軟骨がナイフでサクッと切れるほどよく煮込まれている。それでいてちっとも脂っこくないのだ。カイペリーニャもよく進む。

↑これがミナスの正調フェジョアーダ。これひと鍋で6人前はするでしょうか。


 しばらく食べていると店のオーナーだというおっさんがピンガを飲むかと勧めてくれた。日本人が実にうまそうにフェジョアーダを、しかも昼からカイペリーニャを飲みながら食べているのを感心したのだろうか。そのピンガが実にうまかった。聞くとこのオーナーの個人所有のとっておきのものだったらしい。せっかくそんないいものを頂いたのだからピンがの一本でも買って行こうと言ったらここでもオススメのものを選んでくれた。ブラジル流のおもてなしを感じることができた。

 で、いよいよ空港へいく段になったのだがかみさんの調子は一向に良くならない。これではダメだと従姉がその辺のスタッフを捕まえて車椅子を用意してくれた。チェックインに行くと係りの人がそんなに具合が悪いなら医務室に行った方がいいということで案内してくれた。どうやら長旅の疲れが胃に来たようだ。ドクターがどういう旅程だったんですか?と尋ねてきたので正直に東京からパリに来てそこからサンパウロまで来て、さらにリオとイグアスに行きましたと答えたら「1ヶ月くらいの旅行ですか?」と聞き返された。そうか、この旅程は本当ならひと月かけて行く旅行なのか。いや、一週間ですと答えると「まあ、体調崩しても仕方ないですね」と。他に悪いところは無いのでゆっくり休めば大丈夫でしょうと、一応胃に効く注射を打ってくれた。ここでパスポートと航空券を提示したら病人として登録されて出国も搭乗も優先してくれるということだ。改めて荷物を預けに行くと係りのおばちゃんが「今日は席がすいているから真ん中の4席の端と端に席を変更しておくわね」と言ってくれた。これが航空会社と空港の本気か。機内に入ってからもCAのおねーさんが「ロンドンについてもアシスタントを用意しますよ」と。一人旅ではこんなこと間違っても経験できない。離陸して水平飛行に入るとかみさんはすぐに肘掛を上げて横になった。ロンドンに着くまでに良くなってくれるといいのだが・・・

ロンドン編へ進む→

IGMトップに戻る IGMtravelに戻る Copyright(c)Ian Gutheart all rights reserved